牛深ハイヤ大橋 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○天草の南側の玄関口、牛深について、ブログ『牛深』、『牛深ハイヤ』、『うしぶか海彩館』と続けている。こうなると、次は『牛深ハイヤ大橋』しかない。牛深ハイヤ大橋は、間違いなく、牛深を代表する風景となっている。

○長島の蔵之元港から三和フェリーに乗って牛深港へと向かう。そうすると、港に入るずっと前から、風変わりな風景を目の当たりにして、誰もがその異様な景色に、驚く。それだけ、目立つのが牛深ハイヤ大橋である。牛深港は、その牛深ハイヤ大橋の下に存在する。

○インターネット検索すると、まず、ウイキペディアフリー百科事典が案内する牛深ハイヤ大橋が出て来て、それには、次のようにあった。

      牛深ハイヤ大橋

牛深ハイヤ大橋(うしぶかハイヤおおはし)は、熊本県天草市牛深湾に架かる長さ883m

牛深市地域の牛深港に架かる大橋で、883mは熊本県内最長を誇る。また、臨港道路でありながら、車道からも景観を楽しめるよう高低分離された歩車道をもつ、良好な景観を楽しめる散策路でもある。くまもとアートポリス事業に基づく建築物であり、牛深地域における代表的な建築物である。隣接する道の駅うしぶか海彩館とともに牛深観光のメインスポットとなっている。

名称の「ハイヤ」は、当地に伝わるハイヤ節の元祖「牛深ハイヤ節」を由来とする。

設計は Renzo Piano Building Workshop Japan(レンゾ・ピアノ岡部憲明)、Ove Arup & Partnersピーター・ライス)、マエダ(伊藤整一)。設計コンセプトに「海上に浮遊した一本の線」を掲げ、景観への配慮から単純な連続桁かつ最小限の橋桁で構成し自然への浸透を試みた。風による振動を抑えるためフラップ(風除板)が採用され、下フランジには曲面が適用されているが、技術面での課題解決をそのまま形態デザインに昇華させたことが本橋の特色である。

構造形式は7径間連続鋼床版曲線箱桁である。橋梁全長883m、幅員13.6m、施工期間は1991年11月~1997年8月(P3橋桁のループ橋部分は1999年竣工)、事業主体は熊本県で、総工費122億円。橋の両端はいずれも天草下島に下すが、橋の中央部に分岐交差点をもち、ループ構造により下須島と接続する。

  牛深ハイヤ大橋 - Wikipedia

○何とも丁寧な案内で、牛深ハイヤ大橋の概要を隈なく説明してくれている。とにかく、牛深で最も目立ち建造物であることは間違いない。

○別に、次のページも詳しくて、参考になる。

      牛深ハイヤ大橋

 天草の最南端に位置する牛深市。
 深い入江と丘陵を有する牛深漁港は、県内最大の漁港で古くからカツオ漁の基地として栄えてきた。
 ハイヤ大橋は、この漁港をまたぎ水産加工基地のある後浜地区と、従来の漁港施設のある台場地区を結ぶ臨港連絡橋として計画された。
 これにより、20分の時間短縮が可能となり流通機能の充実が図られた。
 牛深の美しい風景を橋上から楽しむことができるように高低分離された歩車道をもつ。
 橋梁側面のパネルは、強風から歩行者を保護し、橋桁を風圧から守る目的をもっている。

 細やかな地形の線と澄んだ水面の天草の風景のなかに、幅13.6m長さ883m桁高5mの橋をどうやって自然に溶け込ませるかが、デザインの探求の中心であった。構造表現の突出する吊り橋や斜張橋を避け、あえて単純な連続桁梁を選択したのは、最も簡潔な表現によって、一本の線として風景の中に橋を浮上させることで、自然の中に浸透させることを試みたからだ。風徐板と底面の曲線により、橋桁5mの高さは3分割され連続する光と影のリズムの形象となって、薄く細やかで表現豊かな曲線として海上の19mの空を横切る。上向きにつけられたフラップは、変化する空の光の色彩をその純白の面に反射し、繊細な鏡の群列のリズムとなる。

  牛深ハイヤ大橋 - 熊本県ホームページ (pref.kumamoto.jp)

○牛深と言ったら、牛深ハイヤ節だし、牛深ハイヤ大橋だろう。そういう牛深を代表する風景が牛深ハイヤ大橋であることは、間違いない。当古代文化研究所でも、牛深到着後、『うしぶか海彩館』の観光案内所で、情報収集後、ただちに、牛深ハイヤ大橋へと向かった。

○普通の橋と、全然違って、大いに高い。海抜19mもあると言う。それで、取り付け道路が何とも長い。また、橋を渡ると、景色が最高である。それが牛深ハイヤ大橋である。

○普通、橋は出口と入口だけだろう。しかし、牛深ハイヤ大橋には四カ所の出入り口が存在する。おまけに、橋の途中に、信号まである。さらに、二重に曲線が曲がっている。何とも風変わりな橋である。

○加えて、牛深ハイヤ大橋は瀬戸に架かる橋でもある。だから、こんなに高くなっているのだろう。橋の下を船が往来する必要から生まれた橋である。どんな大きな船でも牛深ハイヤ大橋であれば、下を通ることができる。

○当古代文化研究所では、牛深ハイヤ大橋を車で渡った。一回は歩いて渡ってみたい橋である。どんな絶景を見ることができるか。想像するだけでも楽しい。