○今回の「京都ぶらり旅」は、2022年2月1日から4日までの道中だった。その内、実際、「京都ぶらり旅」したのは、2月2日と3日の二日間だけだった。2月2日には、伏見稲荷大社から、醍醐寺三宝院、東福寺、泉涌寺、智積院、正伝永源院、建仁寺、錦市場と巡った。わずか一日で、朝6時から午後4時過ぎまで、とにかく歩き続けた。まさに足が棒になる状態だった。
○2月2日も、朝6時にはホテルを出た。前日と異なり、今日はレンタサイクルでの京都周遊となる。京都駅八条口前のホテルから、最初に目指したのは、鴨川だった。今日は下鴨神社から河合神社、上賀茂神社、大徳寺、金閣寺、北野天満宮、大報恩寺、平野神社、若一神社、東寺と巡り、最後がこの西本願寺だった。西本願寺は当古代文化研究所の菩提寺である広済寺の本院に当たる寺である。これまでも、何度かお参りを済ませている。
○したがって、当古代文化研究所にとっては、ある意味、馴染みの寺である。だから、いまさら、『西本願寺』について、書くことも憚れる気もするが、これまでと同じように、あらためて、西本願寺について、書いておきたい。
○まずは、西本願寺のホームページが案内する西本願寺から、見ておきたい。西本願寺のホームページには「知る」項目が存在し、その冒頭に、本願寺執行長のご挨拶があった。
ご挨拶
本願寺は浄土真宗本願寺派の本山で、正式名称を「龍谷山本願寺」といいます。「西本願寺」、または親しみをこめて「お西さん」とも呼ばれています。ホームページでは読経や仏前結婚式といった各種申し込みの方法をはじめ、本願寺で毎日行われているお勤めや法話、宗祖親鸞聖人のご生涯や年中行事など、ご紹介させていただいております。
本願寺では御正忌報恩講法要や宗祖降誕会などの法要をはじめ、毎日4回、本願寺境内を"お西のお坊さん"が案内する「お西さんを知ろう!」や親鸞聖人のご命日である毎月16日に法要や催し物を行う「Shinran's Day」など、どなたでもご参加いただける行事を開催しています。広く一般に開かれた本願寺、観光を目的に訪れた方々にも阿弥陀さまに出遇える場としての本願寺を目指してまいります。皆さまのお越しをお待ちしております。どうぞお気軽にご参拝ください。
知る|お西さん(西本願寺) (hongwanji.kyoto)
○「ご挨拶」とあるけれども、西本願寺がどういうお寺であるかを、非常に簡潔明瞭に案内する良い文章である。この後に、続けて、「本願寺の一年」、「本願寺の歴史」、「宗祖親鸞聖人」を案内しているけれども、長くなるので、略すしかない。
○別に、ウイキペディアフリー百科事典が案内する西本願寺は、次の通り。
西本願寺
西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区本願寺門前町にある浄土真宗本願寺派の本山の寺院。山号は龍谷山(りゅうこくざん)。本尊は阿弥陀如来。正式名称は龍谷山 本願寺、宗教法人としての名称は本願寺である。本願寺住職は浄土真宗本願寺派門主を兼務する。真宗大谷派の本山である東本願寺(正式名称「真宗本廟」)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。京都市民からはお西さんの愛称でも親しまれている。
文永7年(1272年)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建された。その後、比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転した(詳細は後述「歴史」の項参照)。
○こうやって、あらためて、西本願寺とは何かを考えると、浄土真宗がどういう宗教であり、宗派であるかが見えて来るような気がしてならない。もっとも、それは何も西本願寺や浄土真宗に限ったことではない。日本の仏教そのものがそういうものであるような気がする。
○現在、中国を訪れてみると、判ることだが、現代の中国には天台宗も真言宗も存在しないし、法華宗や浄土宗も存在しない。現代中国の仏教は、全て、禅宗である。台州の天台山、国清寺ですら、禅宗の寺となっている。
○中国には、中国四大仏教名山と言う概念が存在し、次の寺々である。
・山西省五台県の五台山 - 文殊菩薩の霊場(世界遺産)
・四川省楽山市の峨眉山 - 普賢菩薩の霊場(世界遺産)
・安徽省池州市の九華山 - 地蔵菩薩の霊場(世界ジオパーク)
・浙江省舟山市の普陀山 - 観音菩薩の霊場
当古代文化研究所では、これらの寺に全て参詣している。
○また、中国五山とされる次の寺々にも、全て、参詣済みである。
班位 位 次 寺 名 寺号・具名 位置
五山 第1位 径山寺 径山興聖万寿禅寺 杭州余杭
五山 第2位 霊隠寺 北山景徳霊隠禅寺 杭州
五山 第3位 天童寺 太白山天童景徳禅寺 寧波
五山 第4位 浄慈寺 南山浄慈報恩光孝禅寺 杭州
五山 第5位 阿育王寺 阿育王山広利禅寺 寧波
○そういう中で、改めて、日本仏教とか、浄土真宗、親鸞聖人、西本願寺を考えてみると、仏教とは何かを、しみじみ、考えさせられる。浄土真宗で聖典とされる「仏説阿弥陀経」も、これまで、数十回は書写している。
○今回、西本願寺へお参りしたのも、そういうものの一環としてである。知らないものを信じることは、誰にもできない。そういう当古代文化研究所の考えにしたがって、お参りしたわけである。