神柱宮 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○前回案内した黒尾神社の鎮座地である宮崎県都城市梅北町4013番地に、もともと存在していたのが正一位神柱大明神社になる。現在でも、黒尾神社境内には、次のような案内碑が建っている。

      史跡 神柱宮跡

   万寿三年(一〇二六)に島津庄開発の祖と伝わる平季基が、「速に斯地に社を

  建て祭り、神社の名を神柱と称すべし」という伊勢神宮の神託により、神柱社を

  梅北村益貫の地に創建したと伝わる。その後島津荘惣鎮守として崇敬を集めた。

  明治六年(一八七三)十月、現在地に遷宮した。

○インターネット検索すると、「島津荘総鎮守 神柱宮」のホームページがヒットした。わざわざ、ご丁寧に『KAMIBASHIRAGU』のルビが振ってある。幾ら何でもそれは無いだろう。『KAMIBASHIRAMIYA』か『KAMIBASHIRANOMIYA』とするのが適当ではないか。

○そのご由緒書きには、次のようにあった。

      ご由緒~島津荘園の歴史と神柱宮の創始~

  【日本最大の荘園「島津荘」の成立】

当神柱宮の創建は、人皇第68代後一条天皇の御代、萬壽年間(西暦1024~1028年)に太宰府より大監(たいげん)という職にあった平季基(たいらのすえもと)が来都し、無主の荒野であった日向国諸県郡島津一帯を開墾して、宇治関白藤原頼通に寄進されました。
後の鎌倉時代、薩摩・大隅・日向にまたがる日本最大の荘園と称された「島津荘」の成立に起因します。

  【島津荘総鎮守「神柱宮」の創始】

季基は領主として島津荘を治めるに当たり、梅北に屋敷を構え、萬壽3年丙寅(皇紀1686年、西暦1026年)正月20日に家門を建てようとして、梅北村大吉山より門柱を切り出し、片柱を500人で牽いても動かず、さらに500人増やして柱を牽こうとした時、その光景を見ていた季基の6歳になる娘がにわかに神がかり、「我は伊勢の外宮なり、此の地において万民を護ろうと思う。
速やかに社を建てて、その社の名を『神柱』と称すべし云々」という御神託により、季基は伊勢の神宮へ赴き皇大神様の御分霊を奉戴して、同年9月9日、諸県郡中郷村大字梅北字益貫に創建奉祀されたのが「島津御荘總鎮守神柱宮」の始まりです。
当時から島津荘の領主・荘官は固より、荘内の人々に篤い崇敬を寄せられて来ました。これが創始と社名の由来です。

  【現在地「旧島津御茶屋敷跡」に遷座】

明治4年の都城縣設置に伴い、往時の桂久武参事(知事)が当宮を縣総鎮守神社として奉斎するため、現社地(旧 島津御茶屋敷跡)への移転遷座を計画しましたが、その後、都城縣は廃止に至り、宮崎県が計画を引き継ぐ形で、明治6年5月25日に縣社に列格し、同年10月28日に遷座祭が盛大に斎行され、この小松原の地に鎮座いたしました。
現在は、御祭神の広大無辺なる御神徳を仰ぐ崇敬者の心の拠りどころとして、また都城市を初め県内外から初宮詣、七草詣、車祓、厄祓等に訪れる人々の祈願所として昔の思いを今に伝えています。

  ご由緒|神柱宮 宮崎県都城市の神社 (kanbashira.net)

○長い引用となったが、ご由緒を略すのも気が引けるので、そのまま掲載した。ただ、このご由緒書きそのものが、相当くだけたものとなっている。それは「島津荘総鎮守 神柱宮」のホームページそのものがそうなっている。時代の趨勢に倣ったものかも知れないが、あまりいただける代物ではない。

○もともと神社とは、神の宿る粛然としたところであって、必然的に格式ばった威厳ある存在なのだから。時代に阿る必要など、何も無い。空間や時間を超越したところに存在するのが神社なのである。

○その点、ウイキペディアフリー百科事典が載せる「神柱宮」の方がまだましではないか。

      神柱宮

神柱宮(かんばしらぐう)は、宮崎県都城市にある神社である。旧社格県社で、現在は神社本庁別表神社神柱神社(かんばしらじんじゃ)ともいう。通称お神柱

境内末社として、神門神社(みかどじんじゃ)と基柱神社(もとばしらじんじゃ)の2社を擁する。

  【祭神】

天照皇大神豊受姫大神を主祭神とし、左座(向かって右側)の天津彦火瓊々杵命天手力雄命、右座(同左側)の天津児屋根命(あまつこやねのみこと)万旗秋津姫命(よろづはたあきつひめのみこと)天太玉命と、5柱の神を相殿に祀る。また、境内末社の神門神社は櫛磐窓神と豊磐窓神を、基柱神社は菅原道真平季基を祀る。

  【歴史】

島津荘の開拓のために大宰府より移住した平季基が、万寿3年(1026年)、天照皇大神の「速に斯地に社を建て祭り、神社の名を神柱と称すべし」という神託を受けて伊勢神宮より梅北村益貫に勧請したのに始まると伝えられる。以来、「島津荘総鎮守」として崇敬された。

明治6年(1873年)5月に県社に列し、同年10月28日現在地に遷座した。

  神柱宮 - Wikipedia

○ここでも「神柱宮(かんばしらぐう)」となっている。地元では、普通、『かんばしら』と呼び称する。それだけで神柱神社のことを意味する。それだけ人々に親しまれている神社である。