邪馬台国の風景 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○前回、ブログ『邪馬台国の所在地』の最後に、こう書いた。

  ・判るように、すでに邪馬台国は完全発見されている。

  次回はその邪馬台国の風景について述べたい。

○その邪馬台国の所在地が何処であるかは、「魏志倭人伝」を読み解いて判断するしかない。「魏志倭人伝」の主題が倭国三十国の案内だと言うことも、前回紹介した通りである。具体的には次の通り。

  【倭国三十国】
    渡海三国     狗邪韓国・対馬国・壱岐国
    北九州四国   末廬国・伊都国・奴国・不弥国
    中九州二十国  斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国・
               姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
               鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
     南九州三国    投馬国・邪馬台国・狗奴国

○邪馬台国が畿内だとか北九州だとか言う説は、成り立つはずもない。南九州には、投馬国・邪馬台国・狗奴国の三国がきれいに存在する。それをまとめて日向国と言う。後世、それは日向国・薩摩国・大隅国へと分離することからも、元日向国が本来、三つの文化圏で成り立っていたことを証明している。

○当古代文化研究所では、南九州三国である投馬国・邪馬台国・狗奴国を隈なく探索している。その詳細は、次のブログを見ていただくと判る。

  ・テーマ「狗奴国・救仁国の風景」:48個のブログ

  狗奴国・救仁国の風景|古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「投馬国はどんな国家だったか」:131個のブログ

  投馬国はどんな国家だったか|古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:149個のブログ

  日向国の邪馬台国|古代文化研究所 (ameblo.jp)

○判るように、もう邪馬台国や卑弥呼を妄想する時代は終わったのである。何しろ、「魏志倭人伝」が案内し、加えて、「古事記」や「日本書紀」、「万葉集」までもが、全て記録し、指示するところが日向国なのである。そういう史実を曲げて歴史を語ることは、誰にもできない。

○もっとも、前回、ブログ『邪馬台国の所在地』で触れたように、「魏志倭人伝」を読むことは至難の業である。基本的に、日本人には「魏志倭人伝」は読めない。もともと、「三国志」は、中国の専門史家のみを読者対象としている書物なのだから。

●ここでは、邪馬台国の風景を案内したい。それが邪馬台国三山であることは、言うまでも無い。大和国には、大和三山が存在する。大和三山と言うからには、大和国を代表する名山ばかりであると、誰もが思う。ところが、奈良県橿原市に存在する実物の大和三山は、次のようなものである。

  ・畝傍山(199.2m)
  ・香具山(152.4m)
  ・耳成山(139.7m)

●標高200mにも満たない山々を大和三山と呼ぶことには、相当抵抗がある。そう思うのは、私だけだろうか。大和三山と称するからには、大和国を代表する山々でなくてはならない。ところが、大和国の大和三山には、そういうものが一切、感じられないのである。

●当古代文化研究所では、これまで七回、奈良県橿原市を訪れ、実際に大和三山へ登り、そのことを確認している。

  第一回  1992年3月28日
  第二回  2003年8月11日
  第三回  2005年5月10日
  第四回  2009年3月29日
  第五回  2010年4月3日
  第六回  2011年5月3日

  第七回  2017年9月5日

◎結論から先に述べると、大和三山はレプリカであって、本物ではない。だから、あんなに小さいのである。本物は日向国に存在する、次の山々になる。

  ・うねびやま=霧島山(1700m)
  ・かぐやま=桜島山(1117m)
  ・みみなしやま=開聞岳(924m)

◎当古代文化研究所では、本物の大和三山の方を邪馬台国三山と呼び称して、大和国の大和三山と区別している。それはもともと、ここが邪馬台国の地だったからでもある。つまり、邪馬台国の風景と言えば、誰が何と言っても、邪馬台国三山の風景だとするしかない。

◎だから、大和国へ東遷した人々は、故郷の山々である邪馬台国三山のレプリカを大和国に造成したのである。それが奈良県橿原市に存在する大和三山になる。したがって、日向国の邪馬台国三山と大和国の大和三山とは、まるで相似形なのである。

◎もともと、日向国の中心がここにあったことも、間違いない。ある意味、大和地名の起源もここにある。その邪馬台国でもっとも神聖な場所は、何処か。それを教えてくれるのも、実は大和国なのである。それ程、日向国と大和国は密接な関係にある。

◎だから、逆に、大和国でもっとも神聖な場所を考えれば良い。それはやはり、大和国一宮の大神神社境内、三輪山だろう。大神神社のご神体が三輪山なのだから。

◎そういうふうに考えると、邪馬台国でもっとも神聖な場所が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島であることが判る。何故なら、前に、ブログ『出雲神の故郷が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島であること』で、案内したように、大和国一宮の大神神社の御祭神、大物主大神の故郷が硫黄島だからである。

◎正確には、もともと硫黄島に斎き祀られていた大物主大神を大和国へ勧請したのが大和国一宮の大神神社だと言うことである。もちろん、大物主大神は出雲神である。その出雲神の御神体は、出雲八重垣と言う。須佐之男命の御詠歌、

  八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

で知られる。硫黄島では、現在でも、普通に毎日、枕詞「八雲立つ」風景を見ることができる。

◎後世、『みみなしやま=開聞岳(924m)』をご神体とする枚聞神社は薩摩国一宮となる。当時、薩摩国の中心が開聞岳周辺に存在したことを裏付ける資料である。したがって、硫黄島が日向国の中心であったのは、それ以前のことになる。

◎三世紀に、中国の正史である「三国志」が邪馬台国を薩摩半島だとしていることは、日本の歴史に、重大な結果を及ぼす。少なくとも、三世紀に、そういう国家が薩摩半島に存在したと言うことなのだから。大隅半島には狗奴国が存在したことも確認されている。

◎邪馬台国はすでに発見されている。その邪馬台国の風景が邪馬台国三山である。日向国を検証すると、そういうことが判る。なかなか日向国は面白い。