平良を歩く | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2021年7月13日の朝は、甑島里のFUJIYA HOSTELで目覚めた。前日に頑張って、中甑から小島、瀬上、桑之浦、江石、中野と散策していた。昔の上甑村の集落では、残りは平良のみである。したがって、14日は、最初に平良を目指した。

○前日訪問した中甑・小島・瀬上・桑之浦・江石・中野が上甑島に存在するのに対して、平良は唯一、中甑島に存在する集落である。現在は甑大明神橋と鹿の子大橋ができて、上甑嶋と中甑島とは繋がっている。

○平良には、2020年11月2日にも訪れている。その時には、帽子山展望所から平良を望み、木の口展望所からは甑大橋を眺めている。また、平良港脇の三島神社へも、参拝している。

○ブログにも、次のようなものを載せている。

  ・テーマ「甑島周遊」:ブログ『中甑島:平良』

  中甑島:平良 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「甑島周遊」:ブログ『帽子山展望所』

  帽子山展望所 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「甑島周遊」:ブログ『木の口展望所』

  木の口展望所 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○2021年7月14日、平良を訪れた。昨年11月に引き続き、二回目の訪問になる。平良集落の入り口に、平良港バス停があって、往年のフェリーの平良待合所がそのまま残っている。その隣が平良港公園となっていて、そこに「平良港開港200年記念」碑が建っていた。

○平良港脇の三島神社は、前回に参詣した所である。前回はその先まで行かなかったので、今回はその先まで行ってみた。すぐ先の右手の山に水神社が鎮座ましました。平良港がまだ池だったころの水神様だと思われる。

○さらに道沿いに進むと、この辺りは船を停泊するところとなっているようで、平良港が何とも奥行きのある港であることが判る。さらに進んで行くと、右手の丘に愛宕神社が鎮座ましました。その先にはまた何とも広い新港が広がっていた。

○「甑島地区日常マップ」が載せる平良は、次の通り。

      平良

      海と山に囲まれていても「オープン」

   上甑島と下甑島をつなぐ中甑島にただ一つある集落です。

  平良漁港では定置網やキビナゴ漁が盛んで、その日

  水揚げされた魚を購入することができます(里漁港と平良漁港のみ)。

  カノコユリが多く咲く所があり、通称ゆりの島と呼ばれています。

○ゆりの島と言うだけあって、平良港周辺でも、幾らでも百合の花を見ることができた。それはまさにこの季節だけの話である。やはり、甑島は旧暦六月中に訪れるに如くは無い。

○三島神社については、上甑村郷土誌に興味深い記事を載せている。

  ・テーマ「甑島周遊」:ブログ『上甑村郷土誌:三島神社』

  上甑村郷土誌:三島神社 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

これに従えば、中甑や江石、平良の氏神は、もともと三島神社だったとするしかない。それ程、甑島に於ける三島神社の影響は大きい。それが甑島の古い形であるような気がしてならない。

○もちろん、その三島神の故郷が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島であることは言うまでも無い。甑島から硫黄島は近い。そういう影響下に甑島は存在したのである。それ歴史もまた、何とも古い。少なくとも、当古代文化研究所では、それを三世紀まで、確認している。そういう時代が甑島には存在した。そういうことを裏付けてくれるのが三島神社なのである。