上甑村郷土誌:小池神社 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○「上甑村郷土誌」が載せる神社について、ブログ『上甑村郷土誌:甑島神社』、『上甑村郷土誌:蛭子神社』、『上甑村郷土誌:三島神社』、『上甑村郷土誌:金峯神社』、『上甑村郷土誌:厳島神社』と続けている。今回は『上甑村郷土誌:小池神社』について、述べてみたい。

      小池神社

   平良小池にある。昔ここには小さな池があったが、今は葺の生えた湿地になっている。

  この神社はもと虵王権現ともいった。虵王は蛇王と同意で、池の主を蛇と考えて祀った

  ものであろう。「当社ハ前代梶原七郎兵衛ト云人此島ヘ渡リ小池ト云所ヘ社を建テ此神

  ヲ祭ル」(神社明細帳)。現在も梶原氏が祭っている。現在、祭神は金姫命。祭日は旧正月

  二日となっているが、明細帳では旧九月九日となっている。

〇つまり、小池神社は平良小池に鎮座まします。現在、県道から平良へ左折するあたりが小池である。中甑島は山ばかりで、平地はほとんど無い。平良集落のありところ一帯が最も広く、その次がこの小池である。他に平地は見られない。

○また、「上甑村郷土誌」、第十二編村の教育・宗教、第二章宗教、第一節神社に、小池神社について、次のような伝説を記録している。

      小池神社

   小池神社について、次のような伝説が残っている。今から約五百年前、桓武天皇の後裔

  梶原七郎兵衛が小池に上陸し、此処にしばらく居を構えた。その頃神社を建て祭られた。

  これが現在に残る小池権現である。当時平良の領主は小川氏であった。梶原七郎兵衛の

  嫡男宗吉と云う人が、小川氏と岩屋、中射場あたりで戦い、梶原氏の勝利となり、小川氏が

  平良を譲った。その時から平良を矢島と唱えるようになった。西の浜からませろを越えて、

  中射場川の次の平瀬の先の川を、どろどろ水と云う。この川は大雨の時以外は、水落が

  高さ三米位巾二米位で、こけが生えていつもよごれている。又この川の水が海岸の砂浜を

  流れると、水が途中で砂の中に吸込まれて海まで流れない。この川に苔が生えて水が汚れて

  いるのは、この戦の時、血の着いた刀を此処で洗ったからこのようになったので、この川を

  どろどろ水と云い伝えている。

   平良を領した梶原氏は、新春一月二日一族を引連れて平良に来た。その時平良高位の

  人が、礼装で大小刀を差し、若い女子を美装させ、多数を引連れ貢物を持って、三味線、

  太鼓で出迎えたのである。又其の夜は部落で一番大きな家に集まって盛大な歓迎の宴が

  行われたと云う。以後毎年一月二日のこの記念の日を小池権現の例祭とす。(以下略)

〇当古代文化研究所では、2020年11月2日に、平良を訪れている。その時に、平良港近くに鎮座まします三島神社へは、参詣した。しかし、小池神社は未見である。実際、小池神社を知ったのは、「上甑村郷土誌」を読んだからである。そういう意味で、「上甑村郷土誌」は勉強になる。