大帯姫神社 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○大帯姫神社が神功皇后を祀る神社であることは言うまでも無い。ウイキペディアフリー百科事典が案内する神功皇后は、次の通り。

      神功皇后

神功皇后(じんぐうこうごう、成務天皇40年 - 神功皇后69年4月17日)は、日本の第14代天皇仲哀天皇皇后。『日本書紀』での名は気長足姫尊で仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされる(在位:神功皇后元年10月2日 - 神功皇后69年4月17日)。

  ・気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと) - 『日本書紀』、和風諡号

  ・息長帯姫大神(おきながたらしひめのみこと) - 『古事記

  ・大帯比売命(おおたらしひめのみこと) - 『古事記

  ・大足姫命皇后 - 『続日本後紀

  ・大帯日姫 - 『日本三代実録

  神功皇后 - Wikipedia

○2020年11月3日に、瀬々野浦の民宿浦島に泊めていただいた。朝早く起きて、宿の近くを散策した。最初に港に行き、海を眺めた。3日の夜は一晩中、恐ろしいくらいの大風の音がしていた。宿の主人に伺うと、「あんなのは、ここでは普通ですよ。冬の大風はあんなものじゃない。」とおっしゃる。やはり、甑島の西海岸の季節風が尋常ではないことが実感できた。

○4日の朝の海は、昨日よりは収まっていたけれども、結構、風があった。昨晩、一緒に食事した叔父さんが明日は釣りに行くと言っていたので、探すと、蝋燭岩の下で、釣っているのが見えた。白波が立つ中での釣りである。しかし、釣りはこういう天気の方がよく釣れる。防波堤の上から手を振ると、返事が返って来た。私も一応、釣りの準備だけはしてきたが、この中で釣りをすることは危険でできない。地元の人しかできない釣りである。

○港から帰りに、宿の手前に小さな社を見付けた。行ってみると、どうやら蛭児神社らしい。蛭児神社の上にも神社があるみたいなので行くと、赤い鳥居が建っていて、扁額に大帯姫神社とあった。瀬々野浦の氏神が大帯姫神社であることは、諸本に出ている。

○寛政七年(1785年)に刊行された白尾國柱の「麑藩名勝考」には、次のように載せる。

      大足姫祠

   精霊穴の近處に在り。例祭五月二日、九月六日、十一月六日。

○「三國名勝図会」には、次のように載せる。

      大多羅姫宮(地頭衙より子方三里)

   下甑村瀬々野浦にあり。(神体霊石四ツ。木像四軀を安ず。)神功皇后三韓征伐の時、

  當村大内浦へ軍船を泊繋せらる。因て勧請すといふ。大内浦、今内浦と唱ふ。祭祀十一月

  十四日。神職日笠山氏。

  ・末社  山神社  蛭児社  以上の二社、當社の境内にあり。

○「下甑村郷土誌」には、次のように載せる。

      大多羅姫神社

   神社台帖(下甑)には、「大帯姫神社」と記録さる。

   瀬々野浦字浜里二一番のイ、ロ号地に鎮座し、神社台帖に拠れば、祭神、神功皇后、

  社殿四敷三間、境内二七歩、二二歩合計一畝一九歩、氏子二八六戸、となっている。