上甑町江石 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2020年12月21日、桑之浦から瀬上、小島、中甑、中野を経て、江石へ向かった。明治22年(1889年)に、町村制が施行された際、上甑島及び中甑島の全域にあたる中甑村、中野村、江石村、平良村、小島村、瀬上村、桑之浦村、里村の区域から上甑村が誕生した。甑島を理解する上で、できるなら、全ての集落を見て廻りたかった。

○2020年11月に、上甑島及び中甑島のうち、中甑村、中野村、平良村、小島村、瀬上村、里村の区域は周回済みだった。したがって、残りの桑之浦村と江石村とを回れば、上甑島及び中甑島の全域を周回したことになる。それで出掛けたのが江石村だった。

○江石は中甑から東へ山越えを一つしたところに存在する集落である。中野からも行くことができる。私は中野から行って、中甑へ戻って来た。両方を通って判ったことは、道は断然、中甑からの道が良い。こちらがよく使われている道のようだった。ただ、中甑集落からの入り口はなかなか判らない。

○ウイキペディアフリー百科事典が案内する上甑町江石項目には、次のようにあった。

      上甑町江石

上甑町江石(かみこしきちょうえいし)は、鹿児島県薩摩川内市大字。旧甑島郡甑島郷江石村薩摩郡上甑村大字江石郵便番号は896-1203。人口は147人、世帯数は77世帯(2015年10月1日現在)。「上甑村郷土誌」によると1977年(昭和52年)時点での面積は4.15km2である。

  上甑町江石 - Wikipedia

○江石を訪れて、最も目立っていたのは、巨大な沖堤防であった。それも二つも設置してある。何か江石集落を圧迫するような印象を受けた。それだけ、ここでは波浪が強いのだろう。江石には比較的大きくて広い土地がある。そのせいか、集落全体が明るく感じた。

○ここにも過疎の波が押し寄せている。平成7年(1995年)には251人だった人口が平成22年(2015年)には147人まで、減少している。甑島の何処でも大問題となっている。

○ウイキペディアフリー百科事典には、江石の寺社として、金峯神社、恵比須神社、法照寺を載せるが、私が見たのは美保両神社だけだった。甑島の神社はいろいろあって、面白いし、気になっている。機会を見付けて、郷土誌などで検証してみたい。