旧正龍寺跡墓石群 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○前回、ブログ『薩州山川海雲山正龍寺跡』を案内した。

  ・テーマ「指宿探訪」:ブログ『薩州山川海雲山正龍寺跡』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12638512584.html

○実は、ブログ『薩州山川海雲山正龍寺跡』は、2011年1月にも書いている。

  ・テーマ「指宿探訪」:ブログ『薩州山川海雲山正龍寺跡』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519944941.html?frm=theme

○正龍寺は、これまで、数回は訪れている。したがって、その度に書いていると思ったが、意外と書いていなかった。もっともブログを始めたのは2007年12月からである。それ以前のものは、当然、無いことになる。

○正龍寺墓地に、『旧正龍寺跡墓石群』の案内板が設置してあった。以前にも案内したことがある。ここにも再掲載して、確認しておきたい。

    市指定文化財
    旧正龍寺跡墓石群
        (指定:昭和五十六年十月六日)
   この正龍寺は、薩洲山川海雲山正龍寺といい、山元氏が創建したといわれている。
  開基の年代は、不明である。
   明徳元年(一三九〇)、名僧・虎森和尚がまねかれて再建にあたった。
   その後、多くの名僧を出し、京都の儒家藤原惺窩をも驚かす学問的水準の高さを誇り、
  薩摩文教の府とさえいわれた。
   また、貿易港・山川港に入る外国船の外交文書の授受にもあたっていた。そのために
  豊臣秀吉の検地による知行の没収をもまぬがれている。
   しかし、明治二年の廃仏毀釈により、廃寺となった。ここの墓石群は、その時に散逸
  したものを集めたものである。
                          平成十五年二月一日
                          指宿市教育委員会

○この『旧正龍寺跡墓石群』の案内板そのものが相当苔生している。年に一二回くらいは整備されているのだろうか? まるで完全に放置されたままになっているような感じである。周囲も木が茂っていて、鬱蒼としている。もう少し、文化財保存に留意していただけないかと危惧する。

○『河野覚兵衛家墓石群』とか、『内田家関係墓石』には、案内板とか説明板が設置され、管理が行き届いている感じがするが、『旧正龍寺跡墓石群』全体は、放置されたままのようである。何とかして、整備し、人が見学できる程度にはして欲しい。

○上記『旧正龍寺跡墓石群』の案内板にもあるように、薩州山川海雲山正龍寺は、漢学、薩南学派の中心的存在であった。日本の漢学の起源がここにあるとも言える。そんな大事な文化遺跡なのである。せめて、もう少し、手を入れてきれいにしてほしい。

○併せて、そういうことを世に喧伝することも指宿市教育委員会の責務だろう。そうすれば、多くの人がここを訪れる。そういうところが薩州山川海雲山正龍寺跡なのである。