○「古事記」では、伊邪那岐命が禊祓をした地を、『竺紫日向之橘小門之阿波岐原』としている。同じところを「日本書紀」では、『筑紫日向小戸橘之檍原』と記録している。この両者には微妙な差異が見られるところから、いろんなものが見えて来る。
○竺紫・筑紫の問題も面白いのだが、ここでは触れない。ここで扱うのは阿波岐原・檍原の問題となる。つまり、「古事記」が『橘小門之阿波岐原』と表記しているのに対し、「日本書紀」は『小戸橘之檍原』と案内していることである。
○橘が小門に掛かるのか、それとも檍に掛かるのか。前回にも話したように、橘が植物であることを考えた場合、『橘小門』では意味をなさない。『橘之檍原』とする方が自然ではないか。「古事記」の『竺紫日向之橘小門之阿波岐原』、「日本書紀」の『筑紫日向小戸橘之檍原』が教えてくれることは大きい。
○ある意味、橘は枕詞と考える方が自然だろう。と言うのは、橘にはそういう言霊が宿っている。それは日本和歌の伝統の中に見ることができる。
五月待つ花橘の香をかけばむかしの人の袖の香ぞする(古今和歌集・伊勢物語)
○もう一点、「阿波岐」は「あはき」、「檍」は「あおき」だから、読みも微妙に異なる。もっとも、歴史的仮名遣いでは「檍」は「あをき」となる。そうなると、「あはき」と「あをき」は随分近くなる。
●谷川健一に、「日本の神々」(岩波新書)と言う名著がある。「第一章:地名の旅」の中に、
四)沖縄の青の島
と言う項目があって、
死者の墓地としての青
として、
沖縄本島とその属島には奥武(おう)という名のつく所が七つある。
として、詳しく説明している。奥武島は、沖縄では墓所だと言うのである。この指摘は大きい。
●つまり、「古事記」の『阿波岐原』や、「日本書紀」の『檍原』が、この『あを』であって、墓所を意味すると考えられる。そう考えると、全てが上手く説明できる。
●私が2020年7月29日に、訪れた江田神社、住吉神社、明神山などは、全て海沿いの墓所だったところではないかと想像される。もちろん、宮崎の代表的な観光名所である青島も同じである。それが、「古事記」の『阿波岐原』や「日本書紀」の『檍原』だと考えると、説明出来る。
◎なかなか奥の深い話となる。まだまだ検証が必要であることは言うまでもない。しかし、こういうふうに考えると、日向神話が俄然、身近な存在となってくることも確かである。更にあれこれ考えてみることが要求される。何とか、ここまで、考えた。