卑弥呼の肖像 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○前回の最後に、こう書いた。

  ・結果、残るのは、卑弥呼は大山祇神だと言うことである。木花開耶姫は若いし、結婚し、子供まで儲

  けている。それでは卑弥呼ではない。そうすると、自ずから、卑弥呼の肖像が見えてくる。

○したがって、今回は『卑弥呼の肖像』の話となる。まず、卑弥呼の肖像として描かれているのは、卑弥呼が大山祇神だと言うことである。つまり、山の神だと言うことだ。

○「古事記」の記録では、大山祇神や木花開耶姫が居たのは『笠沙の御前』となっている。、『笠沙の御前』とは、硫黄島及び硫黄島が望見されるところ、くらいの概念で良いのではないか。具体的には、硫黄島及び坊岬、立神岬、番所鼻、開聞崎、長先鼻などとなる。

○ただ、「魏志倭人伝」の記録に拠れば、

  倭国乱相攻伐歴年乃共立一女子為王。名曰卑弥呼。事鬼道能惑衆。

  年已長大無夫婿有男弟佐治国。自為王以来少有見者以婢千人自侍。
  唯有男子一人給飲食伝辞出入居処。宮室楼観城柵厳設常有人持兵守衛。

とある。卑弥呼を見た者はほとんど居なかったこと、婢千人が侍して居たことなどを考慮すれば、卑弥呼の現住所は鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島大字長濱となるのではないか。

○長濱地名も日本中に散見される。最もよく知られているのは、滋賀県長浜市だろう。長浜市では秀吉が長浜地名の命名者となっているようだが、とんでもない話である。長浜地名の歴史は古い。長浜地名の特徴は辨才天信仰とともにある点にある。つまり、竹生島由来の地名であることが判る。

○実は長浜地名の起源も硫黄島にある。それが辨才天信仰とともに、日本中に拡散したわけである。したがって、長浜地名を辿ると、辨才天信仰が見えて来るわけである。長浜姓も、もちろん、辨才天信仰に基づくものである。

○硫黄島には大きな岬が存在する。それは永良部岬と言って、100mを超す絶壁が1㎞に亘って南北に続いている。その東側に存在するのが長濱浦であり、長濱集落である。硫黄島で永良部岬の存在は大きい。そのお陰で、長濱浦は天然の良港となっている。ここなら、船は何時までも風待ちすることができる。もちろん、枕崎や坊津、開聞岳から硫黄島は眺望される距離にある。その硫黄島からは屋久島や口永良部島が遠望される。

○意外なことに、卑弥呼は敬虔な仏教徒であったと思われる。その証拠に、日本辨才天信仰の起源が硫黄島にある。また修験道もここから発生している。観音信仰が辨才天信仰と密接な関係にあることは、誰もが承知していることである。大概の観音信仰には辨才天信仰が付随しているし、辨才天信仰にも観音信仰を伴うのが普通である。

○つまり、卑弥呼は仏教を以て国を治めようとした気配があることが判る。ある意味、日本へ最初に仏教を持ち込んだ人が卑弥呼なのである。それが三世紀と言う時代である。当古代文化研究所では、そういうことを研究している。

○日本では、仏教伝来を六世紀として認識している。しかし、修験道や辨才天信仰を追い続けると、修験道や辨才天信仰の起源は、ともに硫黄島へと帰着する。それも五世紀や六世紀の話ではない。そうなると、どうしても三世紀まで遡るしかない。

○卑弥呼の肖像は、仏教徒してのそれである。もちろん、自身は大山祇神であるわけだから、神様である。そういう状況は、古代では当たり前である。日本ではそれを神仏混淆とか神仏習合と呼び称している。

○明治維新は宗教革命である。日本開闢以来、日本は江戸時代まで、神仏混淆・神仏習合だった。現在、神仏混淆・神仏習合は悪者扱いされているけれども、それは江戸時代末期からの現象であって、本来、神仏混淆・神仏習合は極めて合理的な考え方である。積極的に外来文化を摂取しようと言う意味でも、無理の無い考え方である。

○それを完全否定したのが明治維新である。薩摩藩では、全ての寺院が破壊され、三千人の坊主が追放されたと言う。何とも恐ろしい話である。仏教否定が明治維新の根幹であることを見逃してはなるまい。お陰で、薩摩藩では仏教が営々と培ってきた文化が全て損なわれている。

○もともと、薩摩國自体が仏教のものであることを誰も理解していない。薩摩地名は、どう考えても諸菩薩摩訶薩に由来するものとするしかない。このことについては、2009年8月に、次のブログに詳しく書いているので、参照されたい。

  ・テーマ「鹿児島を彩る人々」:ブログ『白尾國柱と薩摩國』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519941023.html?frm=theme

○したがって、卑弥呼は現代に於いても、日本中に斎き祀られている。それは神仏混淆・神仏習合の神様としてであり、仏様としてである。それが日本古来の神様であり、仏様なのである。私たちはそういう文化を是非とも回復したいものである。