天然居士米山保三郎墓銘:其の十 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○引き続き、漱石の小説「こころ」に出て来るKが天然居士米山保三郎の亡霊である話を続けたい。前回は小説「こころ」の冒頭、鎌倉の海水浴場での、私と先生との出会いの一コマであった。明治時代の海水浴場の風景は珍しい。まさに絵になる風景である。

漱石の小説「こころ」の風景で、次に気になる風景は雑司ヶ谷の墓地の風景ではないか。小説「こころ」が始まって、第4話から第5話に、その風景は登場する。この雑司ヶ谷の墓地の風景が小説「こころ」の暗い内面世界の暗示であり、小説全体の伏線ともなっていることは、言うまでもない。

○ただ、それがあまりに唐突に出現するものだから、この雑司ヶ谷の墓地の風景が何を意味するかを、読み取ることは容易ではない。小説「こころ」を全部読んで、振り返らない限り、この雑司ヶ谷の墓地の風景が意味するところは理解されない。漱石と言う作家は、なかなか面倒な男でもある。

○その時、私は先生の奥さんと初めて出会う。雑司ヶ谷の墓地の風景の前の場面である。

   この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たして置いて又内へ這入った。すると奥さんら

  しい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。

   私はその人から鄭寧に先生の出先を教えられた。先生は例月その日になると雑司ヶ谷の墓地にあ

  る或仏へ花を手向けに行く習慣なのだそうである。「たった今出たばかりで、十分になるか、ならない

  かで御座います」と奥さんは気の毒そうに云ってくれた。賑やかな町の方へ一丁程歩くと、私も散歩が

  てら雑司ヶ谷へ行って見る気になった。

小説「こころ」の第5話の冒頭に、雑司ヶ谷の墓地の風景が、次のように描かれている。

   私は墓地の手前にある苗畑の左側から這入って、両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで

  行った。するとその端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡

  の縁が日に光るまで近く寄って行った。そうして出抜けに「先生」と大きな声を掛けた。

○ここでは何も明らかにされないが、小説「こころ」ではKのお墓が雑司ヶ谷の墓地にある設定となっている。現実には、雑司ヶ谷の墓地に存在するのは、作者である漱石のお墓である。ある意味、漱石には雑司ヶ谷の墓地は好ましい場所として認識されていたのではないか。

○随分と昔の話になるが、雑司ヶ谷の墓地へ漱石のお墓参りに出掛けた記憶がある。最初に出掛けたのは20年以上も前のことである。二回目の参拝は2008年8月のことだから、もう12年も昔の話である。その時の話は、次のブログに書いている。

  ・テーマ「文学散歩」:ブログ『漱石居士之墓』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519938584.html?frm=theme

○この時は、富士登山が目的で、その帰りに御坂峠の天下茶屋へ行き、三ツ峠山の山頂下の山小屋、四季楽園へ泊った。前日は富士山8合目の山小屋、蓬莱館へ泊っている。その後、三鷹で下車して、禅林寺へ行き、鷗外と太宰治のお墓参りをした。

  ・テーマ「文学散歩」:ブログ『森鷗外の墓』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519938555.html?frm=theme

  ・テーマ「文学散歩」:ブログ『太宰治の墓参り』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519938546.html?frm=theme

三鷹の禅林寺へ出掛けたのは、これまで3回ほどである。もちろん鷗外のお墓参りのためである。その鷗外のお墓のはす向かいに、太宰治の墓がある。話では、圧倒的に太宰治の墓参りが多いらしい。しかし、私は鷗外の文学が遥かに好きである。

○話が随分と逸れたが、漱石居士之墓は実に堂々としていて、気持ち良い。それに比べると、鷗外や太宰治の墓は、実に質素である。と言うか、漱石居士之墓が異常に立派過ぎるのである。なかなか漱石と言う男は面白い。詳しくは、上記したブログ『漱石居士之墓』を読んでもらえれば判る。