「坊っちゃん」清の墓 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○夏目漱石「坊っちゃん」が書かれたのは、明治39年(1906年)のことだと言う。今年は2020年だから、もう百年以上も昔の小説である。それでも、夏目漱石「坊っちゃん」の人気は凄くて、愛読者は多い。

○その「坊っちゃん」は、清と言う下女の話から始まって、最後も清の話で次のように終わっている。

   その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの

  家でなくってもしごく満足の様子であったが気の毒なことに今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。

  死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓

  のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺に

  ある。

○現在、東京の本駒込に養源寺はある。養源寺には、安井息軒先生のお墓があるので、これまで、4、5回お参りに出掛けている。その息軒先生のお墓の向かいにあるのが、米山保三郎の墓である。

○米山保三郎は漱石の親友で、金沢の人である。漱石はいろんなところで、いろんなかたちで、この米山保三郎を登場させている。これ程、漱石に影響を与えた人物も珍しい。

○そういう意味では、この米山保三郎の墓が「坊っちゃん」の清のお墓だと言うことになる。当古代文化研究所では、これまで、何度か、「坊っちゃん」の清の墓について、書いている。

  ・テーマ「文学散歩」:『「坊ちゃん」清の墓』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519938573.html?frm=theme

  ・テーマ「文学散歩」:天然居士米山保三郎墓銘』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519938591.html?frm=theme

○最後に養源寺へお参りしたのが2018年10月2日のことであった。その際、積年の念願であった安井息軒先生碑銘を何とかよむことができた。

  ・テーマ「文学散歩」:安井息軒先生碑銘を読む:其の一』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519982775.html?frm=theme

  ・テーマ「文学散歩」:安井息軒先生碑銘を読む:其の二』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519982782.html?frm=theme

  ・テーマ「文学散歩」:安井息軒先生碑銘を読む:其の三』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519982790.html?frm=theme

○同じように、米山保三郎墓銘も読むことができた。

  ・テーマ「文学散歩」:米山保三郎墓銘』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519982813.html?frm=theme

○本当は、2018年に書くべきことだったが、そのままになっていることに気付いた。それで、ここに書いておきたい。