中西進が語る日向神話:其の五十二 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

「三国志」巻三十『魏書』、『烏丸鮮卑東夷傳第三十』の倭傳には、「三国志」の編者である陳壽の並々ならぬ思い入れが存在する。前回、そういう話をした。その陳壽が案内する倭国三十国の案内の仕方もまた見事なものである。

  【渡海三国】

    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国

  【北九州四国】

    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国

  【中九州二十国】

    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国

    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・

    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)

  【南九州三国】

    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○これが「魏志倭人伝」の主題であることに誰も言及しない。それ程、「魏志倭人伝」を正確に読むことは難しい。「魏志倭人伝」の主題を初めて案内した本は「完読魏志倭人伝」(2010年1月:高城書房刊)である。

○卑弥呼の故郷である邪馬台国を代表する風景も、誰も案内してくれない。したがって、これもまた当古代文化研究所で紹介するしかない。邪馬台国を代表する風景とは、どんな風景か。それは邪馬台国三山の風景である。

  ・うねびやま=霧島山(1700m)

  ・かぐやま=桜島山(1111m)

  ・みみなしやま=開聞岳(924m)

○奈良県橿原市には、次の大和三山が存在する。

  ・畝傍山(199m)

  ・香具山(152m)

  ・耳成山(140m)

○ほとんどの人は、これが真実の大和三山だと信じて止まない。しかし、国名を冠する山が標高200mにも満たない山であることはあり得ない話である。これはレプリカに過ぎない。本物の大和三山は日向国に存在する邪馬台国三山である。ただ、大和三山が二つも存在するのは何とも紛らわしい。それで、当古代文化研究所では、日向国の大和三山を邪馬台国三山と呼び称している。

●面白いことに、天皇家の故郷には大和三山は存在しない。天皇家の故郷とは、神代三山陵の存在するところである。神代三山陵の存在するところは狗奴国になる。そんなおかしな話は無いとおっしゃるかも知れない。しかし、それが現実であることは間違いない。

●これが「古事記」や「日本書紀」が語る日本の歴史の虚構を意味することに気付くべきである。つまり、もともと邪馬台国は大山祇神と木花開耶姫のものであった。そこに進出して来たのが彦火瓊々杵尊だと言うことになる。

●それは次世代の彦火火出見尊にも続く。邪馬台国は豊かな国であった。そこに目を付けて進出して来たのが天皇家の祖先、狗奴国の人々であった。また、それは更に次の世代、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊でも同様である。

◎先に日本各地に進出したのも邪馬台国の人々であった。出雲国がそうだし、伊予国や信濃国、甲斐国、駿河国、伊豆国、大和国など、全て邪馬台国の人々が開いた国である。そのことは、出雲国・伊予国・信濃国・甲斐国・駿河国・伊豆国・大和国の一宮を見れば判ることである。

◎普通、国が侵略されたら、国名は必ず変更される。そうであるなら、大和国名は変更されているはずである。しかし、大和国名は相変わらず、そのまま持続された。と言うことは、神武東征は何だったのだろうと言うことになる。なかなか歴史は難しい。