中西進が語る日向神話:其の五十 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2020年1月20日の宮崎日日新聞12面の文化欄に、『「日向」こそ神話語る場』と題して、来県インタビュー:「令和考案」国文学者・中西進さん」の記事が掲載された。記事を読んでみて、中西進がまるで日向国を知らないのに、驚いた。

○それで、長々と日向国について、書き続けている。それがとうとう50回を数えるまでになってしまった。

日向国を理解すれば、日向神話がどういうものであったかを知ることができる。日向国をまるでご存じ無い方から日向神話の話を聞いたところで、それこそ話にもならない。日向神話の舞台を知らない限り、日向神話が語れるはずもない。誰が考えても判ることである。

○第一、『日向(ひむか)』地名が何処のものか。それすら理解しないで日向神話を語ると言うことがおかしい。『日向(ひむか)』地名の起源は鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島になる。そういう具体的な話をしないでは、日向国では日向神話は語れない。

●今回は、『日向(ひむか)』地名が中国の正史「三国志」の中に出現すると言う話をしたい。「三国志」巻三十『魏書』に『烏丸鮮卑東夷傳第三十』が存在し、その『東夷伝』の中の、「夫余・高句麗・東沃沮・挹婁・濊・韓・倭」の一つが『倭伝』であり、それを日本では「魏志倭人伝」と呼び称している。

●「魏志倭人伝」は全字数1986字に過ぎない。ただ、『烏丸鮮卑東夷傳第三十』の全字数は9448字であって、その中で最も字数の多いのが「魏志倭人伝」なのである。ある意味、『烏丸鮮卑東夷傳第三十』そのものが『倭伝』の為に書かれたと思える節がある。それ程、「三国志」の編者、陳壽は倭国を重要視している。

烏丸傳や鮮卑傳には、丘力居や歩度根、軻比能などの人物が登場して暗躍する様子が描かれている。しかし、東夷傳にはそういう人物は皆目出現しない。その中で唯一、例外なのが、倭国の女王、卑弥呼である。卑弥呼の名は気高い。

卑弥呼は何を意味するのだろうか。諸説があるが、なかなかどれもしっくりこない。その中で、『ひみこ』が『ひむか』であれば、これが最も相応しい気がしてならない。

◎何故なら、『卑弥呼(ひむか)』であれば、倭国の女王としての姿を見事に具現しているからである。「魏志倭人伝」に拠れば、卑弥呼は鬼道をよくしたと言う。その鬼道が宗教であって、太陽崇拝なら、『卑弥呼(ひむか)』は至高の命名と言うことになる。何故なら、それは『日向(ひむか)』の意なのだから。

◎もちろん、それは中国の史家、陳壽が判断した結果に他ならない。日本では日本なりの命名がある。それは大山祇神と申し上げる。もちろん、大山祇神は山の神であり、女神である。住所は鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島となっている。