中西進が語る日向神話:其の九 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

中西進が語る日向神話について、書き続けているが、日向国の概念がはっきりしない以上、日向神話が語れるはずもない。そういう肝心なことを知らないで語られる日向神話は、極めて空疎なものとならざるを得ない。中西進には、日向国の中心が何処にあったかさえ、自覚されていないことが判る。

○その証拠に、中西進は宮崎に来て、日向神話を語っている。宮崎が日向神話の舞台で無いのにも関わらず。中西進は、日向神話の舞台がさも宮崎であるかのように語っている。こんな滑稽な話は無い。

○前々回、お話したように、日向神話は神代三代の物語である。そうである以上、基本、日向神話の舞台が神代三山陵の所在するところであることは、間違いない。おそらく、中西進には、そういう意識さえない。日向神話は、なかなか難しいのである。

○日向は『ひむか』と呼ぶ。したがって、日向国とは、太陽に対峙するところの国の意である。当然、そこには、万人を無条件に感動させるような風景が存在しなくてはなるまい。中西進が万葉学者なら、本当は、そういう感動的な話をして欲しかった。

○しかし、おそらく、中西進には、日向国名に由来する、そういう感動体験が無い。それでは、日向神話を語るには無理がある。日向国では、日向国名に由来する風景を毎日見ることができる。

●別に、「日本書紀」巻七景行天皇紀には、次のような日向地名起源説話を載せている。

   十七年の春弥生の戊戌の朔己酉に、子湯縣に幸して、丹裳小野に遊びたまふ。

  時に東を望して、左右に謂りて曰はく、「是の國は直く日の出づる方に向けり」とのたまふ。

  故、其の國を號けて日向と曰ふ。

●おおよそ、「古事記」や「日本書紀」のこういう地名起源説話は、遥か後世の作り話であって、信用できない。この日向地名起源説話にしたところで、同様である。そんないい加減な話で日向地名が誕生したとは、考えられない。

◎日向地名を追い続けると、それは太陽崇拝に辿り着く。そこは決して湯縣丹裳小野などではない。鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島になる。ある意味、此処が日本創世の地でもある。

◎日向国で日向地名を追い続けると、そういうことが判る。誰でも簡単に、太陽崇拝とおっしゃるけれども、意外と日向国の太陽崇拝は、奥が深い。そういうことを理解しない限り、日向神話は語れない。

◎万葉学者が片手間に語る日向神話は、せいぜいその程度に過ぎない。そんなものを日向国に来て語っていただいても、困ってしまう。日向神話は、そんなものではない。そのことが万葉学者には、まるで理解されていない。