大隅郡大隅郷 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○前回、『大隅国大隅郡大隅郷』と題して、角川日本地名大辞典が案内する大隅国項目、大隅郡項目、大隅郷項目の、それぞれを見て来た。角川日本地名大辞典が案内する大隅国項目、大隅郡項目、大隅郷項目が、何とも統一性の無い、乱暴な記述であることに驚かされた。

○つまり、大隅国は、もともと、肝坏・贈於・大隅・姶羅の4郡から始まったことになっている。そのうち、贈於郡に国府は置かれたとあるから、贈於郡が現在の霧島市国分を中心とした地域であることは間違いない。もっとも、贈於郡はそれ以降、次第に東へと移行している。

○問題は、それ以外の肝坏・大隅・姶羅の3郡の所在が何処かと言うことである。前回、『大隅国大隅郡大隅郷』で見たように、大隅郷は角川日本地名大辞典に拠れば、
      おおすみのごう:大隅郷
   〔古代〕平安期に見える郷名。大隅国大隅郡七郷の一つ。大隅国造の本拠地で、肝属川沿岸の古墳
  密集地帯、すなわち現在の東串良町・高山町、あるいはそこから大崎町に至る地域と考えられている
  (県史・国史大辞典2)。また一説に現在の垂水市大字垂水に当たるともいう(地名辞書)。
とあって、皆目不明とするしかない。

○この記録に拠れば、
  ・大隅国造の本拠地で、肝属川沿岸の古墳密集地帯、すなわち現在の東串良町・高山町、あるいは
   そこから大崎町に至る地域と考えられている(県史・国史大辞典2)。
と言う説が有力で、他に、
  ・現在の垂水市大字垂水に当たるともいう(地名辞書)。
と言う説が存在するらしい。

○しかし、角川日本地名大辞典の大隅郡項目では、大隅郷について、
  ・大隅は安楽川・菱刈川流域の志布志町・有明町・松山町から大崎町東部、大隅町月野にまたがる地、
と、まるで異なる説を述べている。

○つまり、角川日本地名大辞典では、大隅郷について、次の3案を紹介していることが判る。
  ∥膓銈楼続收遏ι刈川流域の志布志町・有明町・松山町から大崎町東部、大隅町月野にまたがる地、
  大隅国造の本拠地で、肝属川沿岸の古墳密集地帯、すなわち現在の東串良町・高山町、あるいは
   そこから大崎町に至る地域と考えられている(県史・国史大辞典2)。
  8什澆凌眇綮埖膸晳眇紊謀?燭襪箸發いΑ蔽鰐昭書)。

●この3案がまるで異なる地域を提示していることに、まず、驚く。もちろん、それぞれの説には、当然、それなりの理由と根拠があるのだろう。しかし、
  ・安楽川・菱刈川流域の志布志町・有明町・松山町から大崎町東部、大隅町月野にまたがる地、
と言う説には、此処がもともと諸県郡の地域であることを考えると、無理な気がしてならない。諸県郡は日向国の中心をなすところである。そこを大隅郷に比定することには、相当、無理がある。

●次に、
  ・現在の東串良町・高山町、あるいはそこから大崎町に至る地域
と言う説について、考えてみたい。おそらく、これは考古学関係からの意見だろうと思われるが、この地域の特徴は、高塚古墳が存在することで知られる。それで、大隅郷に比定しようとするのだろうが、此処はまた、肝属川の流域であって、それも中心部になる。それなら、肝坏郡は何処になるのだろうか。此処は肝坏郡の所在地にしか考えられない場所である。

●そういうふうに考えると、残るのは、
  ・現在の垂水市大字垂水に当たるともいう(地名辞書)。
だけと言う結果になる。大隅郡には7郷が存在し、人野・大隅・謂列・姶﨟・禰覆・大阿・支刀だと言う。この中で、禰覆が禰寝であって、現在の根占であることは間違いあるまい。それなら、大隅郡は、大隅半島の鹿児島湾岸だと考えることができる。そういう意味では、大隅郷が垂水である可能性は高い。

○逆に考えると、大隅国の4郡である肝坏・贈於・大隅・姶羅のうち、その所在地がはっきりしているものから考えてみる方法がある。まず、大隅国の国府は贈於郡だとされるから、現在の霧島市国分あたりが贈於郡であることは間違いない。

○次に考えられるのは、肝坏郡である。これも多少の変動はあったかも知れないが、現在でも肝属郡として郡名が残っている。また、「和名抄」に拠れば、肝坏郡の管郷は、桑原・鷹屋・川上・鴈麻の4郷だとする。加えて、大隅半島には肝属川が流れていて、これが肝坏郡と無関係だと言うことは考えにくい。そう考えると、肝坏郡が肝属川流域であることは動かせない。

○大隅郡を除けば、残りは姶羅郡のみである。これも大隅半島には吾平地名が残されている。吾平地名は神代三代である彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵、吾平山陵にその名があるほどだから、相当古い。また、「和名抄」に拠れば、姶羅郡の管郷は、野裏・串伎・鹿屋・岐刀の4郷となっている。それなら、姶羅郡は、どう考えても、現在の鹿屋から串良、吾平付近だとするしかない。

○残りが大隅郡であることは、間違いない。大隅半島で残っているのは、鹿児島湾岸しかない。そういう意味で、大隅郷が垂水である可能性は頗る高いことが判る。