陌上桑(元代王冕詩) | 古代文化研究所

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○これまで、『陌上桑』詩を次のように見て来た。

  陌上桑(漢楽府诗)
  陌上桑(曹操詩作)
  陌上桑(魏文帝曹丕詩)
  陌上桑(魏國曹植詩)
  陌上桑(呉均詩作)
  陌上桑(王筠詩作)

  陌上桑 (王台卿詩作)
  陌上桑 (唐代李白詩作)

  陌上桑(陸龜蒙詩作)
  陌上桑(北宋·文彦博詩作)

○引き続き、今回は、王冕詩作の『陌上桑』である。

  【原文】
      陌上桑(元代王冕詩)
    陌上桑,無人采,入夏綠陰深似海。
    行人來往得清涼,借問蠶姑無個在。
    蠶姑不在在何處?聞説官司要官布。
    大家小家都捉去,豈許蠶姑能獨住。
    日間織麻夜織機,養蠶種田俱失時。
    田夫奔走受鞭笞,飢苦無以供支持。
    蠶姑且將官布辦,桑老田荒空自嘆。
    明朝相對淚滂沱,米糧絲税將奈何?

  【書き下し文】
      陌上の桑(元代王冕詩)
    陌上の桑、采る人無く、
    夏に入りて、綠の陰は深く海に似る。
    行人の來往するに清涼を得、
    蠶姑の個在すること無きを借問す。
    蠶姑は不在にして何處にか在る?
    官司の官布を要することを聞説す。
    大家も小家も都て捉え去り、
    豈に蠶姑の能く獨り住するを許さんや。
    日間は麻を織り、夜は機を織り、
    蠶を養ひ田を種え、俱に時を失す。
    田夫は奔走し、鞭笞を受け、
    飢え苦しみ以て支持を供すること無し。
    蠶姑は且つ將に官布を辦ぜんとするも、
    桑は老い田は荒れ、空しく自から嘆くのみ。
    明朝、相對すれば、淚は滂沱し、
    米糧絲税、將に奈何せん。

  【我が儘勝手な私訳】
    畦道の上に生える桑の木、誰も桑の葉を採る人もいない。
    夏になると、緑の木陰は一層深くなり、まるで海のよう。
    旅人は往来するのに、桑の木の木陰で一休みしながら、
    蚕を養うのに、どうして此処で桑の葉を採らないのかを訝る。
    蚕を養う女性が何処にも見えないのは、どうしてか。
    役人に訴えて、どうにかして貰うべきだと頻りに説く。
    大きな農家も小さな農家も何処の農家も全て探して、
    どうして蚕を養う女性が仕事をすることを許可しないのか。
    日中は麻布を織り、夜中は機織りをし、
    蚕を養い田畑を耕し、一生を過ごす。
    農夫は懸命に働き、過酷な労働に耐えるも、
    それでも飢え苦しむだけで、生活することも儘ならない。
    蚕を養う女性がどんなに役人の助けを願い出たところで、
    桑の木は老木となり、田畑は荒れるばかりで、茫然自失するしかない。
    翌朝、畑に出て、陌上の桑を眺めると、涙が溢れ出るばかりで、
    米税や穀物税、生糸税を、今将にどうしたら良いのか、教えて欲しい。

○王冕の『陌上桑』詩も、『陌上桑』詩と言いながら、その内実は相当変更されている。掲載している写真は、畦道に自然に生えてきた桑の木である。もちろん、自然発生などするはずもないから、鳥などが種を運んで来たのであろう。

○『陌上桑』と言う場合、こういうふうに生えてきた桑の木ではないか。それも畦道の上なのだから、誰も物でも無い。だから無造作に自然のまま、自由に成長したものであろう。それが大木となっている。

○普通、桑の木は畑に植えられ、人の手によって厳重に管理されている。それは人が桑の葉を摘むのに適したように手入れされている。だから、桑の木と言うのは、何処でも全く同じ形をしている。いわゆる、栽培植物である。

○だから、『陌上桑』が無用の長物であることは間違いない。誰も相手にしない。目障りで、なおかつ、面倒な存在でもある。それを出征軍人の嫁になぞらえている。そういうものが漢楽府の『陌上桑』であった。

○王冕の『陌上桑』詩を読むと、漢楽府の『陌上桑』とは、随分と趣が違う。それもそのはずである。両者の間委には、千年以上の時代差が存在するのだから。山が海となっていてもおかしくない時代差である。

○漢楽府の『陌上桑』から王冕の『陌上桑』詩まで、『陌上桑』詩を11個も取り上げて来た。全て高適の『薊門行五首』詩を読もうとして、始まった作業である。それ程、高適の『薊門行五首』詩は、奥が深い。それ程、中国詩は奥行きがある。そういうものを、こうやって耕すことが中国詩を読み、高適と言う詩人を理解することである。詩一つ読むのにも、それだけの労力を要する。それが中国詩である。

○王冕については、『百度百科』には、次のように載せる。
      王冕 (元朝著名画家、诗人)
   王冕(1287年~1359年),字元章,号煮石山农,亦号“食中翁”、“梅花屋主”等,浙江省绍兴市
  诸暨枫桥人,元朝著名画家、诗人、篆刻家。他出身贫寒,幼年替人放牛,靠自学成才。
   王冕性格孤傲,鄙视权贵,诗作多同情人民苦难、谴责豪门权贵、轻视功名利禄、描写田园隐逸生

  活之作。有《竹斋集》3卷,续集2卷。一生爱好梅花,种梅、咏梅,又攻画梅。所画梅花花密枝繁,生

  意盎然,劲健有力,对后世影响较大。存世画迹有《南枝春早图》《墨梅图》《三君子图》等。能治印,
  创用花乳石刻印章,篆法绝妙。《明史》有传。
  https://baike.baidu.com/item/王冕/312?fr=aladdin

○インターネット検索で、王冕を調べたところ、次のページがヒットした。こうやって、自分のブログがヒットすると、面映い反面、多くの人が読んでくれているようで、何とも嬉しい。
  ・テーマ「痩西湖・个園」:ブログ『王冕:過揚州』
  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519968345.html?frm=theme