知幻童子墓:墓参り | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○今日、2018年8月1日は、旧暦では6月20日で、知幻童子の命日である。知幻童子と言ったところで、ご存じ無い方が多いのでは。知幻童子は安井息軒先生の二女三保の名である。もっとも、現在では、安井息軒先生自体が忘れられつつある。

○かの文豪、森鷗外に、名作「安井夫人」がある。ウィキペディアフリー百科事典の、安井息軒項目には、次のように記されている。
      安井息軒
   安井 息軒(やすい そっけん、寛政11年1月1日(1799年2月5日) - 明治9年(1876年)9月23日)
  は江戸時代の儒学者。名は衡、字は仲平、息軒は号。日向国宮崎郡清武郷(現・宮崎県宮崎市)出
  身。その業績は江戸期儒学の集大成と評価され、近代漢学の礎を築いた。門下からは谷干城や陸奥宗
  光など延べ2000名に上る逸材が輩出された。妻の佐代は、森鴎外の歴史小説『安井夫人』のモデル。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/安井息軒

○知幻童子の墓があるのは、日向国安国寺墓地である。日向国安国寺の歴史は古く、康永元年(一三四二)まで遡る。もっとも、日向国安国寺が現在の飫肥板敷中島田に移ったのは、長享元年(一四八七)だとされる。

○私が日向国安国寺に興味関心を抱いたのは、薩南学派の祖、桂庵玄樹が日向国安国寺の住持となったからである。本ブログでは書庫名を「鹿児島を彩る人々」としているのも、そういう流れからで、当時の飫肥城主は、島津忠兼であった。

○私たちが利用している漢文の訓点は、文之点が元だとされる。その文之点を考案したのが南浦文之である。南浦文之の故郷は、日南南郷の外浦で、飫肥からいくらも離れていない。

○当古代文化研究所では、当然、南浦文之について、幾つも書いている。
  ・書庫「海の博物誌」:ブログ『虚空蔵島』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/9810295.html
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『南浦文之と薩南学派』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/9690208.html
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『南浦文之玄昌傳』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/9724217.html
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『文之和尚碑銘 其の一』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/10356955.html
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『文之和尚碑銘 其の二』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/10359386.html

○閑話休題。話をもとに戻すと、日向国安国寺には、安井息軒先生の先考、安井滄州先生のお墓が存在する。そういう話を聞いて、2008年ころ、何度も日向国安国寺を訪れている。
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『日向国安国寺と日本儒学の創始』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/11600274.html

○結果、ようやく安井滄州先生のお墓を見付けることができて、お参りした。安井息軒先生が建てた安井滄州先生の墓碑銘は、何とも立派で、さすが、日本最後の大儒と言われるだけの人の文章である。
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『安井滄州先生の墓』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/18694280.html
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『安井滄洲先生墓碑銘』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/19225760.html
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『安井滄洲先生墓碑銘を読む 
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/19264808.html
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『安井滄洲先生墓碑銘を読む◆
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/19335278.html
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『安井滄洲先生墓碑銘を読む』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/19382207.html

○安井滄州先生の墓碑銘を読むに際して、読めるようにするため、大清掃を行った。これがまた大変な作業であった。お陰で、何とか、読むことができた。

○その際、立派な安井滄州先生の墓碑銘の隣に、慎ましいお墓が二つ並んでいた。同じ墓域に存在するから、安井家所縁のお墓だろう。二つとも、完全に苔生していて、何も読み取ることができない。苦労して、洗墓したところ、一つは安井滄州先生が建てた「安井氏先坣僑位」であり、もう一つが安井息軒先生が建てた「知幻童子墓」であった。
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『安井氏先坣僑位』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/19422847.html
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『知幻童子墓』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/19475447.html

○知幻童子墓には、その後、2回、お参りしている。
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『知幻童子の命日に』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/32499615.html
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『再度、知幻童子の命日に』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/32855434.html

●したがって、今日、2018年8月1日のお参りは、8年ぶりのお参りとなった。相変わらず、安井滄州先生の墓碑銘、安井氏先坣僑位、知幻童子墓は、すっかり荒れ果てていた。朝の9時から11時まで、2時間かけて、丁寧に洗墓し、菊花と線香を捧げ、お佐代さんに成り代わり、お墓参りを済ませて来た。