親魏倭王卑彌呼 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○「魏志倭人伝」を読んで、問題となることを、「魏志倭人伝」上段556字を問題にして、
  ・「魏志倭人伝」の主題
  ・邪馬台国への道
  ・「魏志倭人伝」の序文
  ・水行陸行
を案内し、「魏志倭人伝」中段827字を問題にして、
  ・會稽東冶之東
  ・所有無與儋耳朱崖同
  ・卑弥呼の鬼道
  ・參問倭地、周旋可五千餘里
  ・黥面文身
と案内してきた。

○今回は、魏志倭人伝」下段601字について、考えてみたい。最初に原文を掲載しておく。
【下段】
 景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻。太守劉夏遣吏將送詣京都。其年十二月、詔書報倭女王曰「制詔親魏倭王卑彌呼。帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米、次使都市牛利奉汝所獻男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈、以到。汝所在逾遠、乃遣使貢獻、是汝之忠孝、我甚哀汝。今以汝為親魏倭王、假金印紫綬、裝封付帶方太守假授汝。其綏撫種人、勉為孝順。汝來使難升米、牛利涉遠、道路勤勞、今以難升米為率善中郎將、牛利為率善校尉、假銀印青綬、引見勞賜遣還。今以絳地交龍錦五匹、【臣松之以為地應為綈,漢文帝著皁衣謂之弋綈是也。此字不體,非魏朝之失,則傳寫者誤也。】絳地縐粟罽十張、蒨絳五十匹、紺青五十匹、答汝所獻貢直。又特賜汝紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八兩、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤、皆裝封付難升米、牛利還到錄受。悉可以示汝國中人、使知國家哀汝、故鄭重賜汝好物也。」正治元年、太守弓遵遣建中校尉梯俊等奉詔書印綬詣倭國、拜假倭王、並齎詔賜金、帛、錦罽、刀、鏡、采物、倭王因使上表答謝恩詔。其四年、倭王復遣使大夫伊聲耆、掖邪狗等八人、上獻生口、倭錦、絳青縑、綿衣、帛布、丹、木弣、短弓矢。掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬。其六年、詔賜倭難升米黃幢、付郡假授。其八年、太守王頎到官。倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和、遣倭載斯、烏越等詣郡説相攻擊狀。遣塞曹掾史張政等因齎詔書、黃幢、拜假難升米為檄告喩之。卑彌呼以死、大作冢、徑百餘步、徇葬者奴婢百餘人。更立男王、國中不服、更相誅殺、當時殺千餘人。復立卑彌呼宗女壹與、年十三為王、國中遂定。政等以檄告喩壹與、壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還、因詣臺、獻上男女生口三十人、貢白珠五千、孔青大句珠二枚、異文雜錦二十匹。

○歴史家には、「景初二年六月」「其年十二月」「正治元年」「其四年」「其六年」「其八年」などの年号が気になるのだろうが、私には、むしろ、魏国の詔書が気になって仕方がない。こういう形で、詔書の原文が明らかにされることは珍しい。

○「親魏倭王卑彌呼詔書」は、全文255字の、極めて格調高い文となっている。当時の詔書がどういうものであったか。それが実見出来る、貴重な史料となっている。

  制詔親魏倭王卑彌呼帶
  方太守劉夏遣使送汝大
  夫難升米次使都市牛利
  奉汝所獻男生口四人女
  生口六人班布二匹二丈
  以到汝所在逾遠乃遣使
  貢獻是汝之忠孝我甚哀
  汝今以汝為親魏倭王假
  金印紫綬裝封付帶方太
  守假授汝其綏撫種人勉
  為孝順汝來使難升米牛
  利涉遠道路勤勞今以難
  升米為率善中郎將牛利
  為率善校尉假銀印青綬
  引見勞賜遣還今以絳地
  交龍錦五匹絳地縐粟罽
  十張蒨絳五十匹紺青五
  十匹答汝所獻貢直又特
  賜汝紺地句文錦三匹細
  班華罽五張白絹五十匹
  金八兩五尺刀二口銅鏡
  百枚真珠鉛丹各五十斤
  皆裝封付難升米牛利還
  到錄受悉可以示汝國中
  人使知國家哀汝故鄭重
  賜汝好物也

○考古学者先生は、この中で、『銅鏡百枚』を取り上げ、強調なさる。しかし、よくよく原文を読むと、
  ・絳地交龍錦五匹・絳地縐粟罽十張・蒨絳五十匹・紺青五十匹
が正式の贈り物であって、それに付随して贈られたのが、
  ・紺地句文錦三匹・細班華罽五張・白絹五十匹・金八兩・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠鉛丹各五十斤
であることが判る。『銅鏡百枚』は、贈り物のごくごく一部に過ぎないし、『銅鏡百枚』だけが『汝好物』では無いことに留意すべきであろう。

○日本では、三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡として、考古学者先生によって喧伝されている。しかし、日本で出土した三角縁神獣鏡は500枚を超すと言う。それなら、三世紀に日本に存在した三角縁神獣鏡は、数万枚を下るまい。そんなありふれたものを魏国の皇帝がわざわざ贈り物にするだろうか。

○それに、三角縁神獣鏡が畿内を中心に出土していることも気になる。この時代、畿内が倭国の中心であることは考えられない。「魏志倭人伝」を読む限り、邪馬台国は、誰が考えても南九州である。

◎「魏志倭人伝」全文は、僅か1984字である。しかし、それを読み解くことは、決して容易では無い。倭国の地理に通暁し、中国からの視点も身に付けない限り、「魏志倭人伝」は読めない。

◎最良の方法は、倭国に詳しい日本人が、中国で「魏志倭人伝」を読むことだろう。そう考えて、5回ほど、中国寧波を中心に回って来た。結果、舟山群島を理解しない限り、「魏志倭人伝」は読めないと理解した。それほど、中国と倭国の歴史は古いし、密接なのである。

◎朝日新聞の特集記事「おしえて邪馬台国」が、何も教えてくれない。「おしえて邪馬台国」と題するのであれば、当然、「魏志倭人伝」を問題にして、邪馬台国を論ずるはずなのに、まるで「魏志倭人伝」が出現しない。邪馬台国は「魏志倭人伝」に記された史実であることをご存じ無いのだろうか。

◎「魏志倭人伝」が記す、『親魏倭王卑彌呼』の名は、眩しい。しかし、卑弥呼は、その前に『親呉倭王卑彌呼』であった可能性が高い。「魏志倭人伝」を読む限り、魏国との通交を始める前に、既に、卑弥呼は呉国と盛んに通交していて、十分に中国文化を取り入れて倭国をまとめていたと推測される。そのルートもはっきりしている。
  ・会稽→寧波(100辧
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→トカラ列島宝島(600辧
  ・トカラ列島宝島→トカラ列島悪石島(50辧
  ・トカラ列島悪石島→トカラ列島諏訪之瀬島(24辧
  ・トカラ列島諏訪之瀬島→トカラ列島中之島(28辧
  ・トカラ列島中之島→トカラ列島口之島(14辧
  ・トカラ列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧

◎中国浙江省舟山群島に、普陀山と言う島がある。これまで5回ほど、訪れている。現在では、中国観音信仰の聖地として知られる普陀山だが、もともとは、ここに辯才天信仰が存在したと思われる。

◎その普陀山での、最高の見物は日の出である。そういうことを普陀山自体が既に見失っている。普陀山でも、太陽は東から昇る。ただ、普陀山では、他のところと違って、観音様の上から太陽は昇る。そういう情景は、見た者にしか判らない。

◎実は、全く同じ風景を、日本でも見ることが出来る。それほど、中国普陀山と日本は近い。日本では、鹿児島県鹿児島郡十島村宝島で見ることが出来る。

◎太陽崇拝がどんなもので、何に拠って生じたものか。中国浙江省舟山群島普陀山や鹿児島県鹿児島郡十島村宝島を訪れない限り、理解出来ない。信仰は、それほど原始的なものでは無い。親魏倭王卑彌呼の鬼道は、そういう信仰である。