湘南 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

 

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○相模国もまるで正体不明なものであったが、湘南地名も決してそれに引けを取らない。ウィキペディアフリー百科事典には、次のように載せる。

      湘南
   湘南(しょうなん)は、神奈川県の相模湾沿岸地方を指す名称である。語源は、かつて中国に存在
  した長沙国湘南県で、現在の湖南省南部地域の地名である。
  【歴史】
   国内文献における「湘南」の初出は『倭名類聚抄』で、かつて中国に存在した長沙国湘南県である。
  中世中国の湘南では禅宗が発展し、そのメッカであった。現在の日本では「湘南」とは主に神奈川県
  相模湾沿岸を指すが、うち禅宗を保護した鎌倉幕府の拠点「鎌倉」は、現在も禅宗臨済宗建長寺派お
  よび臨済宗円覚寺派の大本山「建長寺」・「円覚寺」の所在地であり、鎌倉時代には夢窓疎石らによ
  り日本の禅宗の中心地ともなった禅宗と非常に密接な関係を有する土地でもある。
   「湘南」の定義は曖昧だが、鎌倉や江の島などは観光資源が豊富で観光集客力が高く、「海」や
  「太陽」や「若者」などを連想させ、「湘南」は範囲拡大傾向にある。
  [「湘南」の由来]
   「湘南」とは、もともと現在の中国の湖南省を流れる湘江の南部のことで、かつては長沙国湘南県
  が存在し、中世には禅宗のメッカとなった。日本における「湘南」も禅宗の流入に伴って広まったと
  考えられ、「禅宗」を保護した鎌倉幕府の北条得宗家が居し、国内初の禅寺「建長寺」や「円覚寺」
  を擁した鎌倉周辺の地域が、中国の「湘南」にちなんで名付けられたといわれる[2]。実際に、円覚
  寺の僧夢窓疎石の周辺には「湘南」を冠する人物・建築が散見される。また、1664年ごろ、室町時代
  に中国から日本に移住した中国人の子孫が小田原に居してういろう商人となり(崇雪という人物)、
  自ら創設した大磯の鴫立庵に建てた石碑に「著盡湘南清絶地」と刻んだものが、現在の神奈川県周辺
  域における呼称の起源ともいわれる。この石碑は複製品が作られて鴫立庵の庭にあり、本物は大磯町
  が管理している。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%98%E5%8D%97#cite_ref-1

○ウィキペディアフリー百科事典の湘南定義が必ずしも正確なものでは無いことは理解している。しかし、この定義に教えられるものは多い。ちなみに、中国の検索エンジン百度の「百度百科」が案内する湘南は、次の通り。

      湘南(中国湖南南部)
   中国湘南是指湖南南部衡阳、郴州(湖南离珠三角最近的城市,承接珠三角产业转移的桥头堡)、永
  州三个市,合计34个县(市、区),土地总面积57153平方公里,历史上同属于衡永郴桂道、衡阳道和
  湘南行政区。从地缘而言,湘南是典型的梯级过渡地带,毗邻广东、广西、江西、贵州四省。
    中文名称:湘南    外文名称:Xiangnan    行政区类别:省级行政区
    所属地区:中国中南地区    下辖地区:衡阳市,郴州市,永州市
    政府驻地:解放大道,五岭东路,逸云路    地理位置:南中国中心
    面积:57153平方公里    人口:衡阳795万郴州458万永州518万
    方言:衡阳话,郴州话,永州话、资兴说    气候条件:亚热带季风性湿润气候
    著名景点:南岳衡山、石鼓书院、中国印山、蔡伦竹海、东江湖、永州八景
    主要河流:湘江、耒水、蒸水、洣水
  http://baike.baidu.com/subview/881616/9560410.htm?fr=aladdin

○ウィキペディアフリー百科事典の湘南定義は、なかなか面白い。倭名類聚抄に拠ったと言うけれども、まるで中国の地理に不案内な定義となっている。第一、『現在の中国の湖南省を流れる湘江の南部』と言うけれども、湘江は南から北へ流れているのである。その湘江の上流部の、衡阳・郴州・永州の三市の地域が湘南である。

○ウィキペディアフリー百科事典には、
  ・中世中国の湘南では禅宗が発展し、そのメッカであった。
と案内するのも、頷けない。おそらく、これは湖南省衡阳市南岳区に存在する衡山を意味するのであろう。衡山は、中国五岳の一つで、南岳と呼ばれる。「百度百科」が案内する衡山は、次の通り。

      衡山(中国十大风景名胜区之一)
   衡山,又名南岳,是我国五岳之一,位于湖南省衡阳市南岳区,道教主流全真派圣地,海拔1300.2米。
  由于气候条件较其他四岳为好,处处是茂林修竹,终年翠绿;奇花异草,四时飘香,自然景色十分秀丽,
  因而又有“南岳独秀”的美称。清人魏源《衡岳吟》中说:“恒山如行,岱山如坐,华山如立,嵩山如
  卧,惟有南岳独如飞。”这是对衡山的赞美。1982年,衡山列入第一批国家级重点风景名胜区名单。20
  08年衡山被评为最受群众喜爱的中国十大风景名胜区。
  http://baike.baidu.com/subview/10017/13495680.htm?fr=aladdin

○要するに、中国地名の湘南を日本に持ち込んだのが神奈川県湘南と言うことになる。ただ、それはここが相模国の南部であったことをも意味するに違いない。相模国の南部だから『相南』となるのだろうが、それを中国で有名な湘南地名に肖ったと思われる。なかなか洒落たネーミングである。

○今どき、中国湘南を訪れる日本人は少ないと思われるが、鎌倉に幕府があった時代には、湘南は特別の意味を有したのである。湘南と言えば衡山だと言う通念が失われていることが寂しい。それだけ日本では仏教が縁遠くなっていると言うことの証しなのだろう。

○昨年六月に上海から長沙へ飛び、長沙から湘江を下ったところにある屈原の汨羅祠に参詣し、洞庭湖のほとりに建つ岳陽楼へと廻った。南岳衡山は長沙から110劼曚鋲遒飽銘屬垢襦9媚海惱亞櫃韻燭ったのだが、時間が無かった。次回こそ、訪れたいと思っている。

○湘江は、大河である。長沙で湘江のほとりに建つ杜甫江閣から湘江を眺めたが、川幅はたぶん、3劼らいはあった。日本では信じられない大河である。その湘江が長江の一支流に過ぎないと言うのだから、中国のスケールは凄まじい。その時の様子については、以下を参照されたい。
  ・書庫「長沙・汨羅」:ブログ『杜甫江閣』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38021777.html