杜牧:嘆花 | 古代文化研究所

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○杜牧「嘆花」詩も、なかなか味わい深い。

  【原文】
      嘆花
        杜牧
    自恨尋芳到已遅
    往年曾見未開時
    如今風擺花狼藉
    緑葉成蔭子満枝

  【書き下し文】
      花を嘆く
        杜牧
    自ら恨む、芳を尋ねて到ること已に遅きを、
    往年曾て見る、未だ開かざるの時。
    如今風擺ひて、花に狼藉し、
    緑葉は陰を成し、子の枝に満つ。

  【我が儘勝手な私訳】
    自ら悔やむことである、折角花見に出掛けて既に時遅きことを。
    ずっと昔に、以前、折角訪れた際には、まだ花が蕾であった。
    今では、春風が吹いて、すっかり花を振るい落とし、
    緑葉が生い茂り、枝枝には小さなかわいい実がたくさん付けている。

○杜牧と言う詩人は、なかなか下世話な詩人だと思われるかも知れない。と言うか、揚州で放蕩三昧を尽くした杜牧だから、どうしても、当然、これくらいの詩くらい創るだろうと言う先入観がある。

○実は、上記したのは杜牧「嘆花」詩ではない。これは後世の世人が付託した詩に過ぎない。と言うか、杜牧伝説の詩なのである。本物は、次の通り。

  【原文】
      嘆花
  自是尋春去校遲
  不須惆悵怨芳時
  狂風落盡深紅色
  綠葉成陰子滿枝

  【書き下し文】
      花を嘆く
        杜牧
    自ら是ふ、春を尋ねて去るの校に遲きを、
    須らく惆悵し、芳時を怨むべし。
    狂風の落とし盡くす、深紅の色、
    綠葉は陰を成し、子の枝に滿つ。

  【我が儘勝手な私訳】
    自ら否定するしかないのだ、春を探しに出掛ける時の既に遅かったことを。
    当然、私は花盛りの時訪れなかったことを嘆き、恨み、悔やむしかない。
    狼藉者の東風が美しかったであろう深紅の桃の全ての花を落とし尽くし、
    今では桃の木は、すっかり緑葉で覆われ、枝枝にはびっしりと実を付けている。

○両詩を読み比べれば、そのことははっきりする。どちらが詩であって、どちらが詩で無いことは明らかであろう。それでも面白いものは面白い。だから、こういう話は詩人には付き物で、いくらでも存在する。

○もちろん、尾鰭がちゃんと付いている。中国の検索エンジン百度の「百度百科」が案内する話は、次の通り。

      叹花
   《叹花》是唐代诗人杜牧的作品。全诗四句二十八字。诗人借寻春迟到,芳华已逝,花开花落、子满
  枝头,喻少女青春已过,含蓄委婉地抒发机缘已误,时不再来的惆怅之情。
  【背景故事】
   杜牧外甥裴延翰所编《樊川文集》未载此诗。但唐宋人笔记小说中却载有与此诗相关的故事。即杜牧
  早年游湖州时,见一十多岁少女,长得极美,就与她母亲约定:等我十年,不来再嫁。十四年后杜牧果
  然当了湖州刺史,但那女子已经嫁人生子了。杜牧怅然写成此诗。当时杜牧没有命题,时人命题为《怅
  诗》,原文为:“自是寻春去校迟,不须惆怅怨芳时。狂风落尽深红色,绿叶成阴子满枝。”事见晚唐
  人高彦休《唐阙史》卷上。这是唐人的最早记载,最可信。后来流传中又有将题目改为《叹花》,原文
  改为:“自恨寻芳到已迟,往年曾见未开时。如今风摆花狼藉,绿叶成阴子满枝。”
  http://baike.baidu.com/view/160032.htm

○こういう伝説が生まれるほど、この詩は人口に膾炙しているのであろう。杜牧「嘆花」詩を正確に理解することは、なかなか難しい。