張若虚:春江花月夜 | 古代文化研究所

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○前回、隋煬帝の「春江花月夜」詩を紹介した。名詩は名詩を呼ぶ。隋煬帝の没後、およそ半世紀を経て、張若虚の「春江花月夜」詩が誕生する。

  【原文】
      春江花月夜
        張若虚
    春江潮水連海平、海上明月共潮生。
    灩灩隨波千萬里、何處春江無月明。
    江流宛轉繞芳甸、月照花林皆似霰。
    空裏流霜不覺飛、汀上白沙看不見。
    江天一色無纖塵、皎皎空中孤月輪。
    江畔何人初見月、江月何年初照人。
    人生代代無窮已、江月年年望相似。
    不知江月待何人、但見長江送流水。
    白雲一片去悠悠、青楓浦上不勝愁。
    誰家今夜扁舟子、何處相思明月樓。
    可憐樓上月徘徊、應照離人妝鏡台。
    玉戶簾中卷不去、搗衣砧上拂還來。
    此時相望不相聞、願逐月華流照君。
    鴻雁長飛光不度、魚龍潛躍水成文。
    昨夜閒潭夢落花、可憐春半不還家。
    江水流春去欲盡、江潭落月復西斜。
    斜月沈沈藏海霧、碣石瀟湘無限路。
    不知乘月幾人歸、落月搖情滿江樹。

  【書き下し文】
      春江、花の月夜
          張若虚
    春江の潮水、海に連なりて平らかなり、
    海上の明月、潮と共に生ず。
    灩灩たる隨波は、千萬里、
    何處の春江か、月明無からん。
    江流は宛轉として、芳甸を遶り、
    月は花林を照らして、皆、霰に似たり。
    空裏の流霜、飛ぶを覺えず、
    汀上の白沙、看れども見えず。
    江天一色にして、纖塵無く、
    皎皎たる空中の孤月輪。
    江畔、何れの人か、初めて月を見、
    江月、何れの年か、初めて人を照らさん。
    人生、代代、窮まり已むこと無く、
    江月、年年、只だ相似たり。
    知らず、江月の何人をか待ち、
    但だ見る、長江の流水を送るを。
    白雲一片、去りて悠悠、
    青楓、浦上、愁ひに勝えず。
    誰家か今夜、扁舟の子、
    何處の相思か、明月の樓。
    憐れむべし、樓上に月徘徊し、
    應に離人を照らして、鏡台に妝ふを。
    玉戸簾中、卷けども去らず、
    衣搗つ砧上、拂へども還た來たる。
    此の時、相望めども 相聞こえず、
    願はくは月華を逐ひて、流れて君を照らさん。
    鴻雁は長く飛びて、光度たらず、
    魚龍は潛み躍りて、水文を成す。
    昨夜、閒潭に落花を夢む、
    憐れむべし、春も半ばなるに、家に還らず。
    江水は春を流して、去りて盡きんと欲し、
    江潭の落月、復た西に斜く。
    斜月は沈沈として、海霧に藏れ、
    碣石と瀟湘とは、無限の路。
    知らず、月に乘じて、幾人か歸る、
    落月、情を搖るがして、江樹に滿つ。

  【我が儘勝手な私訳】
    春、長江の滔々とした雄大な流れは、遙か遠くの海まで続き、
    長江の川面に、明かるい月が満ちて来る潮と共に昇って来る。
    キラキラと燦めく波の川面は何処までも続き、
    春の長江の何処にも月光の照らさないところは無い。
    長江の流れは滔々と、春花の咲き乱れる岸辺を廻り、
    月光が花咲く木々を照らして、まるで霰が降るように見える。
    空中には流れる霜が飛んでいるのも、月光が明るいので判らないし、
    波打つ汀の白砂さえ、あまりに明るい月光が眩しいので見えない。
    長江も天空も月光に照らされ、澄み渡って小さな塵ひとつ無く、
    天空には、ただ一つ、皓々とした月輪が浮かんでいるだけである。
    この長江の畔で、どういう人が最初に月を眺めたのだろうか、
    この長江の月が、何時、最初に人を照らしたのだろうか。
    人は代々、入れ替わって、この世に留まることはないけれども、
    この長江を照らす月は、昔からずっと変わることも無いのだ。
    この長江の月は、いったい誰を待っているのか、判らない、
    私は呆然と、ただこの長江の畔で、水が流れ去って行くのを見送るしか無い。

    空には、一枚の白雲がゆったりと流れ行き、
    青い楓の生える岸辺に立つと、愁いに耐えきれない。
    何処の誰なのであろうか、今宵あの小舟に乗る人は、
    何処に居るのだろうか、明月に照らされた高楼で私を思ってくれる人は。
    当然思い遣るべきである、高楼の上に月が何時までも去らず、
    遠くに居る夫を何時までも待ち続ける妻の化粧台を照らすのを。
    どんな立派な御殿で御簾を下ろしても、月光は遮ることは出来ないし、
    衣を搗つ砧の上に振り注ぐ月光は、振り払おうとしても振り払えない。
    月を眺める今現在、貴方のいる方角を望んでみても、貴方から何の返事もないから、
    願わくは、月と共に貴方を逐い、月光となって貴方を照らしたいものである。
    しかしながら、渡り鳥は遠くに飛び去って居ないし、月光も貴方へは届かない、
    魚龍は水中深く潜ってしまったまま、空しく水面に波紋をなすだけである。

    昨夜、静かな淵に花が落ちる夢を見た、
    悲しいことに、春はもう半ばだというのに、貴方は家にも帰れない。
    長江の水は春を押し流して、春は流され、今まさに尽きようとし、
    長江に落ちる月は、もう既に西に傾いている。
    傾く月は深く静かに、川霧の中に隠れようとしている、
    北の碣石山から南の瀟水湘水までは、何とも遥かな道程である。
    月の光を頼りに、故郷に帰りついた人が果たして幾人いただろうか、
    今まさに沈もうとする月は、私の心を揺れ動かし続け、長江畔の木々を照らしている。

○隋煬帝の詩情が五言絶句、僅か20字であったのに対し、張若虚の「春江花月夜」詩は、七言の三十六句、252字の壮大な詩となっている。と言うか、これは、もう詩ではない。張若虚が意識しているのはあくまで楚辞に他ならない。

○中国の検索エンジン百度の「百度百科」が案内する張若虚は、次の通り。

     张若虚
   张若虚(生卒年不详,但有些典籍推算约660—约720),唐代诗人。汉族,扬州(今属江苏扬州)人。
  曾任兖州兵曹。生卒年、字号均不详。事迹略见于《旧唐书·贺知章传》。中宗神龙(705~707)中,
  与贺知章、贺朝、万齐融、邢巨、包融俱以文词俊秀驰名于京都,与贺知章、张旭、包融并称“吴中四
  士”。玄宗开元时尚在世。张若虚的诗仅存二首于《全唐诗》中。其中《春江花月夜》是一篇脍炙人口
  的名作,它沿用陈隋乐府旧题,抒写真挚动人的离情别绪及富有哲理意味的人生感慨,语言清新优美,
  韵律宛转悠扬,洗去了宫体诗的浓脂艳粉,给人以澄澈空明、清丽自然的感觉。
  http://baike.baidu.com/view/16695.htm?fr=aladdin

○張若虚の「春江花月夜」詩について、いろいろ書きたいのだが、本ブログには字数制限があるので諦めるしかない。