桂枝香:金陵懷古 | 古代文化研究所

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○前回、王安石の「金陵懷古(其四)」詩を案内したが、王安石には「桂枝香:金陵懷古」詩が存在し、こちらの方が遙かに人口に膾炙している。

○『桂枝香』は、『滿江紅』同様、中国の曲調名である。中国の検索エンジン百度の『百度百科』が案内する桂枝香は、次の通り。

      桂枝香
   《桂枝香》又名《疏帘淡月》。兹以王安石[sup][/sup]《临川先生文集》为准。双片一百零一字。
  前后片各五仄韵,宜用入声部韵。前后片第二句第一字是领格,宜用去声。据毛先舒《填词名解》记载:
  《桂枝香》这个词牌名出自唐朝人裴思谦到长安参加殿试后,和同伴们到风月场所的平康里嫖宿时,有
  黄门来报喜说他高中状元。《桂枝香》这个词牌最负盛名的是王安石《桂枝香·金陵怀古》。
  http://baike.baidu.com/link?url=oJ5WvolDqjFs39aIU8A1sKYSFNt0S1jM6lmE7XEFAyVD5ESoba1h7fIHJvcOjj0G

○上記説明にもあるように、桂枝香で最もよく知られているのが王安石の「桂枝香:金陵懷古」だと言う。間違いなく、王安石の「桂枝香:金陵懷古」は名作である。

  【原文】
      桂枝香:金陵懷古
           王安石
    登臨送目、正故國晩秋、天氣初肅。
    千里澄江似練、翠峰如簇。
    歸帆去棹斜陽里、背西風、酒旗斜矗。
    彩舟雲淡、星河鷺起、畫圖難足。
    念往昔、繁華競逐。
    嘆門外樓頭、悲恨相續。
    千古憑高對此、漫嗟榮辱。
    六朝舊事隨流水、但寒煙衰草凝綠。
    至今商女、時時猶唱、後庭遺曲。

  【書き下し文】
      桂枝香:金陵懷古
           王安石
    登臨送目すれば、正に故國は晩秋、天氣は初肅なり。
    千里に江は澄み練に似て、翠峰は簇の如し。
    歸帆去棹は斜陽の里、西風を背にし、酒旗は斜矗たり。
    舟は彩かに雲は淡く、星河に鷺の起ち、畫圖は足り難し。
    念ふ往昔、繁華競逐。
    門外樓頭を嘆き、悲恨の相續す。
    千古高きに憑りて此に對すれば、榮辱を漫嗟す。
    六朝舊事隨流水、但寒煙衰草凝綠。
    至今商女、時時猶唱、後庭遺曲。

  【我が儘勝手な私訳】
    山に登り遠くを望めば、ちょうど金陵は晩秋の只中にあって、
      天の気配は草木凋落、秋風肅殺の様相を迎えようとしている。
    揚子江は遙か彼方に一匹の長い白絹のように流れ、
      周囲の山々が翠色に突き出た様は、まるで筍のようである。
    金陵へ帰って来た船が港に船を着けると夕陽の中、
      西風を受けて、酒店を示す旗が斜めに真っ直ぐ高くはためいている。
    揚子江には色鮮やかな船が浮かび、流れる雲は淡く夕陽に照らされ、
      その美しい光景は、到底、筆舌に尽くし難い。
    嘗ての六朝時代の金陵の繁栄栄華の絶頂期を偲び、
    「門外韓擒虎・樓頭張麗華」の故事を嘆き、亡国悲劇の連続して発生したのを嘆く。
    高所に登って千古の昔を偲ぶと、栄耀と恥辱をひたすら嘆くしかない。
    六朝の故事は流れる水に従って過ぎ去り、
      ただ冷たい煙霧の中、枯れ草は緑を閉じ込めている。
    それから今に到るまで、歌姫たちは、時に応じて、
     南朝陳後主、陳叔宝の作詩した『玉樹後庭花』の宮体詩を歌っている。

○もともと、王安石は相当の努力家である。普通でも、誠心誠意、全神経を込めて詩作している。その王安石が奮闘努力して詩作したのが「桂枝香:金陵懷古」なのだから、これが佳詩で無いはずが無い。

○特に、冒頭、
  登臨送目、正故國晩秋、天氣初肅。
は、何とも素晴らしい。この文言だけで十分人を満足させる。なかなかこういう表現は滅多に目にするものではない。

○前回、「王安石墓」を紹介したが、王安石は晩年、金陵城东半山园に居住したと言う。そうであれば、王安石が『登臨送目』したところは、紫金山だろうと思われる。

○2013年10月16日の昼頃、紫金山へケーブルカーで登った。紫金山から望む金陵は絶景であった。手前に南京市街が一望され、彼方に揚子江が左から右へと流れていた。それを王安石は、
  千里澄江似練
と詠じている。揚子江の先には、李白が「登金陵鳳凰台」詩で、
  三山半落青天外
と詠じた龍洞山・西華山・太平山の三山が霞んで見えた。南京市街の北には玄武湖が白く輝いていた。

○狮子山閲江楼にも登ったが、ここの風景も絶景であった。狮子山閲江楼は南京市街の東北角に存在し、眼下を揚子江が流れる。その下流には栖霞山が存在する。

○今から、ちょうど千年前に王安石(1021~1086)が『金陵懷古』した世界を実見すると、時空を超えて王安石が出現するような気がした。多分、王安石にも、同じような感慨があったのではないか。