南京:狮子山閲江楼 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○2013年10月17日、10時30分過ぎ、玄武門前でタクシーを拾って閲江楼へと向かった。玄武門から閲江楼までは、湖南路から中山北路を経ておよそ5劼任△襦

○10時50分ころに狮子山閲江楼南門に到着。南門前の建寧路には立派な儀鳳門が存在した。集票所で門票40元を買って、南門から入ると、儀鳳門の上に出ることが出来る道があったので、最初に儀鳳門へと向かった。

○儀鳳門の上に立つと、狮子山閲江楼の周囲をぐるりと高い城壁が取り囲んでいる様子がよく見えた。おまけに、狮子山閲江楼の外周は盧龍湖と言う大きな池堀が取り囲んでいるから、これはもう、立派な要塞である。

○その上に狮子山閲江楼が建っていて、下から眺めても美しい。登り口から石段を200辰曚錨个蟲佑瓩燭箸海蹐狮子山閲江楼は存在した。狮子山の標高は78辰箸△襪、それより随分高く感じられた。

○今朝、インターネットの調子が悪くて、中国の検索エンジン百度『百度百科』を案内することが出来ない。日本のウィキペディアフリー百科事典が案内する閲江楼は、次の通り。

      閲江楼
   閲江楼(えつこうろう)は中華人民共和国江蘇省南京市北西部の獅子山に位置する楼閣。
   獅子山は標高78.4m、周囲2Kmあり、その昔、東晋の元帝は八王の乱により金稜へ逃れる際に初めて
  長江を渡り、この時に詠んだ詩から盧龍山の名が付いた。1360年(至正20年)朱元璋が盧龍山(獅子
  山)が8万の伏兵により陳友諒の40万の軍を打ち破り明朝の基礎を築いた。1374年(洪武7年)に朱元
  璋は盧龍山を獅子山と改称、閲江楼建設の詔勅が出されたが建設は突如中断され600年余りの歳月が
  流れた。
   1993年より獅子山景区の開発計画が実行され、1998年に閲江楼の建設が開始され2001年9月に600年
  余り有記無楼(書物に記されているが楼が無いと言う意味)と言われた閲江楼が4層7階の楼閣として
  完成した。現在は閲江楼を中心として閲江楼記碑亭、玩咸亭、古砲台、孫中山閲江処、五軍地道、古
  城墻、地蔵寺、五色土、静海寺など30余りの歴史遺跡などがある獅子山景区として国家AAAA級旅游景
  区、国家重点名勝旅游景区に指定され南京の有名観光地となっている。
   獅子山山頂付近までは、エレベーターで上る事が出来る。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%B2%E6%B1%9F%E6%A5%BC

○閲江楼へ登る。中にエレベーターも設置してあるが、折角だから歩いて登る。最上階から望む四方の景色がまた最高であった。

○北から南へ揚子江がすぐ下に流れているし、揚子江に架かる南京長江大橋が目の前にある。揚子江を航行する船の姿も見える。南には南京市街が一望され、東には紫金山が望めた。

○前日登った紫金山山頂からの景色も絶景であったが、閲江楼からの眺望も申し分無い。存分にその眺望を楽しむことが出来た。

○2013年6月12日には武昌の黄鶴楼から揚子江を眺めたし、13日には九江市の九江山水国際大酒店ホテルに宿泊した。九江山水国際大酒店ホテルは長江沿いに存在するホテルであった。

○だから、南京では長江を船で渡ることを計画していた。しかし、時間が無くて、断念せざるを得なかった。こうやって閲江楼から長江を眺めていると、しみじみ長江を船で渡ってみたいと思った。実は揚州でも長江を船で渡ることを計画していた。

●やっとパソコンの調子が戻って、中国の検索エンジン百度『百度百科』が案内する閲江楼を見ることができたので、紹介しておく。

      阅江楼(南京阅江楼)
   阅江楼是中国十大文化名楼之一,与武汉黄鹤楼、岳阳岳阳楼、南昌滕王阁合称江南四大名楼,坐落
  在南京城西北角的狮子山巅,濒临长江。
   阅江楼碧瓦朱楹、飞檐峭壁、朱帘凤飞、彤扉彩盈,具有鲜明的明代风格,古典的皇家气派。
   1374年春(明洪武七年),明太祖朱元璋决定在京师(今南京)狮子山建一楼阁,亲自命名为阅江楼
  并撰写《阅江楼记》,又命众文臣职事每人写一篇《阅江楼记》,大学士宋濂所写一文最佳,后入选
  《古文观止》。建楼所用地基平砥完工后,突然决定停建。直至2001年建成并对外开放,从此结束了六
  百年来“有记无楼”的历史。
  【基本简介】
   南京阅江楼与武汉黄鹤楼、岳阳岳阳楼、南昌滕王阁合称江南四大名楼。位于南京城西北,濒临长江。
  楼高五十二米,共七层,碧瓦朱楹、檐牙摩空、朱帘凤飞、彤扉彩盈,具有鲜明的明代风格,古典的皇
  家气派,为江南四大名楼之一。朱元璋称帝后,于公元1374年,再次登临卢龙山,感概万端,意欲在山
  上建一座高耸入云的楼阁,于是,他亲自撰写了《阅江楼记》,其文气势磅礴,纵横捭阖,又因卢龙山
  “一峰突兀,凌烟霞而侵汉表,远观近视,实体狻猊(狮子的别名)之状,”故将其名赐改为狮子山。
  是年春天,朱元璋又令群臣撰写《阅江楼记》一百余篇,其中以大学士宋濂所撰写至为上乘,并被载入
  《古文观止》,与朱元璋的《阅江楼记》一道流传于世。朱元璋为阅江楼建造了“平砥”,但因种种原
  因终未建成。
  http://baike.baidu.com/link?url=n6-LKxNJQAQdZM_9GqvPqcGGXuU7xMyGnkmgPg7y69LrSg87U5PlCEl5z5viDNr2lqAevBIYtfP9jGjyQ-0hLwfQ7y1aHqUYwFC8uKZhj6G

●南京の狮子山閲江楼から望む眺望は絶景である。これまで岳陽楼、黄鶴楼、閲江楼と訪れて来た。次回は、何としても南昌の滕王閣を訪れたい。