大舜廟 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○上虞市に存在する舜耕公园を訪れた。広い公園内には、ほとんど人影を見ない。歩いて散策するだけでも大変な広さであるように感じた。

○一番下の広場の中心には池が設えてあって、その先の一段高くなったところに、象の大塑像群が並んでいるのを横から眺めることができるようになっていた。実に壮大な景色である。

○象の大塑像群の彼方に山が見える。おそらくあれが歴山なのであろう。その歴山からの尾根筋に舜耕公园の象の大塑像群が建ち並んでいる。

○象の大塑像群の元まで行ったが、そこには子供連れの家族一組が居るだけで、誰も居ない。子供達は絵を描いているようであった。

○象の大塑像群は、全長68叩高さ27叩∩軆杜味牽娃依哨肇鵑梁臘刻であると言う。それは見る者を圧倒する。ここで一日、舜に思いを馳せ、のんびりと過ごすのが最良な気がした。

○しかし、今日は余姚観光が目玉で、上虞は、あくまで、途中の寄り道に過ぎない。象の大塑像群の奥にある大舜廟を目指す。

○大舜廟も、新しい。と言うか、現在も建築途中の様相であった。手前に大きな門があって、その中に入ると、左右に大殿が控えている。

○そこから更に一段高くなったところに大舜廟が建っていた。門や大殿には、舜の足跡を案内する図板等が設置されていて、そこで舜について学習した後、大舜廟に詣でるように設置されているように感じた。

○大舜廟は大きな体育館のような様相の建物で、中に舜の大坐像が飾ってあった。まだ建築途中で、工事用の車両や工事の人々が中に居た。

○司馬遷が「史記」に記録しているのは、

   舜耕歷山,歷山之人皆讓畔;漁雷澤,雷澤上人皆讓居;陶河濱,河濱器皆不苦窳。
  一年而所居成聚,二年成邑,三年成都。
だけなのであるが、この地には、

   有家不能归的舜就到了历山妫水边搭个茅棚住下,开始烧荒垦地。开始阶段,舜以野果子充饥,日出
  而作,日落而息。后来就出现了象耕鸟耘的奇事。说舜一日在田间垦荒,疲倦了就在地头休息。忽然听
  见了“扑哧,扑哧”的鼻息声。抬头看时,只见一只大象从对面山上一步一步走向历山,一直走到舜垦
  荒的地方,用鼻子卷起一块巨大而尖利的石块,开始一下一下用力地刨地。象力大无穷,一个时辰不到
  就刨了一大片地。尔后象天天到历山帮舜刨地,久而久之,舜就与象建立了感情,就开始训练大象耕地。
   舜有了大象帮助,耕地多了,种上庄稼后,地里杂草丛生,一个人忙不过来,正自发愁,地里出现了
  一群一群的小鸟,蹦蹦跳跳地帮助啄去地里的杂草和害虫。舜历山垦荒象帮耕鸟帮耘的故事也就成了千
  古美谈。
の伝承が残っているらしい。その伝承を具象化したのが、あの全長68叩高さ27叩∩軆杜味牽娃依哨肇鵑梁臘刻である。

○古代の聖王、舜の業績自体がはっきりしない部分があるのに、こういう扱い方は如何なものか。それより、舜と言う人物像をもっと明確にする方が先なのではないか。そんな気がした。

○それでも、ここは上虞の観光の目玉として喧伝されるのであろう。仰々しい建造物は、何か私の想う舜のイメージとは随分かけ離れているように感じた。