門画 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○日本人が中国を訪れて、気になるものの一つに門画がある。中国の門には色彩鮮やかな門画が描かれていることが多い。

○それはまた、正月などの飾りとしても販売されているようで、門画は中国独特の文化の一つであるように思えてならない。

○一般に売られているのは両面とも絵になっていて、ガラス窓に貼り付けると両面見ることができるようになっている。私も中国を訪れた際に、数回買って帰って、家に飾ってある。

○今回、舟山群島、岱山島を訪れ、高亭の高顕廟に参拝して、その中門に門画が描いてあるのを見て、おそらく、門画の原型は、こういうものだったに違いないと思った。

○中国の検索エンジン『百度』、「百度百科」で、『門画』を検索すると、次のようにある。

      门画
   门画是我国民间年画的一种特有形式。过去叫“门神”,含有“御凶”的意思。旧时农历新年,在两
  扇门上贴一对门神,以祈平安吉祥;同时,也为装饰门板。古代门神画的是“神荼”“郁垒”,据《山
  海经》载称:唐太宗李世民生病时,梦里常听到鬼哭神嚎之声,以至夜不成眠。这时,大将秦叔宝、尉
  迟恭二人自告奋勇,全身披挂地站立宫门两侧,结果宫中果然平安无事,李世民认为两位大将太辛苦
  了,心中过意不去,遂命画工将他俩人的威武形象绘之在宫门上,称为“门神”。东汉蔡邕《独断》记
  载,汉代民间已有门上贴“神荼”、“郁垒”神像,从此民间就仿效起来,秦琼、敬德也就成为“门
  神”了。到宋代演变为木板年画。后来,民间争相仿效,几经演变,形成了自己的独特风格,便是现在
  的年画了。中国现存最早的年画是宋版《随朝窈窕呈倾国之芳容图》。此外,亦有的门画绘戏曲故事、
  武财神和鸡猫等动物的。
   门画是我国民间传统文化的一种体现。古时候,劳动人民创作了丰富多彩的门画,用以辞旧迎新·驱
  邪纳福。如今,人们仍然保持着春节时贴门画的传统习惯来增添节日气氛,也表达了对美好生活的祈求。

○やはり、门画は中国の『国民间年画的一种特有形式』であることが分かる。また、古代门神的画が『神荼・郁垒』であったことも判る。唐太宗李世民の寓話はあまり信用できない。

○门画は現在、中国でも、正月行事の一つとして捉えられているようであるが、高亭の高顕廟などに見られる门画などを考慮すれば、それはもともと、こういう神事に用いられているものではなかったかと思われてならない。それが民間信仰として、歳神を祀るものに変容して行ったものと思われる。

○高亭の高顕廟の中門(三門)には、三対の门画が描かれていた。正面中央には壮年二人の门画、向かって右側には老人二人の门画である。向かって左側の門は開いていたので、裏側から写真を撮った。これは若者二人の门画となっている。それぞれに理由があるに違いない。

○上記の説明にあるように、本来、门画は門神を祀るものであったらしい。写真を何度も見ていたら、風神雷神図を思い出した。意外と風神雷神図も、もともと、こういうものではなかったか。別に中国では媽祖神に仕える神将として、「千里眼」と「順風耳」が居る。

○また、中門の両端に日の出と松の絵が飾られていることも気になった。意外と、門松の習慣も、こういうところから来ているのかも知れない。

○中国の検索エンジン『百度』、「百度百科」が案内する『門松』は、以下の通り。

      门松
   门松(かどまつ):一种有松枝,竹子做的装饰品,放在大门两侧,象征长寿
   岁寒三友,指松、竹、梅三种植物。因这三种植物在寒冬时节仍可保持顽强的生命力而得名,是中国
  传统文化中高尚人格的象徵,传到日本后又加上长寿的意义。
   松和竹在严寒中不落叶,梅在寒冬里开花,有「清廉洁白」节操的意思,是古代文人的理想人格。日
  本平安时代由中国传入松竹梅,江户时代起又有吉祥的意义。
   日本的陶瓷器、漆器、织染也常用松竹梅图案,常用於门松、女儿节人形等节日装饰以及添丁、婚礼
  等喜庆事上面,常与鹤龟之类的主题一起用。
   位于日本东京都的天皇皇宫的正殿有三间厅堂,分别称“松之殿”、“竹之殿”和“梅之殿”。其
  中,松之殿级别最高,是日本皇室进行正规仪式的场所。另外,在日本的寿司店中,往往也以“松竹
  梅”表示寿司拼盘的档次规格。同样,松往往是最高规格的代名词。

○中国の検索エンジン『百度』、「百度百科」は、なかなかよく日本文化を研究していて、面白い。妙に感覚が日本人とは異なるところも。