高顕廟 | 古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

○高亭の高顕廟について、もう少し書きたい。高亭の高顕廟は、高亭の町中の山上に存在する。山自体が蓬莱公園となっている。訪れてみると判るのだが、山中には各所に墓地が存在する。だから、もともと、ここは高亭の墓域なのではないかと思われる。

○山下から山上にある高顕廟へ続く参道を登って行くと、高顕廟に辿り着く手前の左手の壁が朱色に塗られているのに気付いた。それもうねっている壁である。妙な壁だなあと思いながら、先に進んで言った。

○しばらく行くと、その理由がよく分かった。高顕廟の碑坊前までの壁が二匹の龍となっていて、「蟹龍牆」の名が付けられていた。二匹の龍の間には「蟹」が居て、それを今にも飲み込もうとする二匹の龍が長い赤い壁となって続いているわけである。なかなか凝った造作である。

○高顕廟前の碑坊も立派なものであるが、高顕廟の入り口部分の壁や門も立派なものであった。門は三門となっている。真ん中の門に「護龍閣」の扁額を掲げ、向かって左手の門には「佑民」、右手の門には「護國」の扁額を掲げている。門前には白い獅子像二つが狛犬となっている。

○門を入ると、さらに中門のような建物が存在する。中門の扉には、きれいな人物像が描かれている。中門も三門あった。中央の門の絵は壮年の人物像であり、向かって右手の人物像は老人、左手の人物像は若者の絵となっている。

○私が訪れた時は、中央と右手の門は閉じていたので、人物像を見ることができたが、左手の門は開いていたので見ることができなくて、門の中に入ってから、絵を確認することができた。

○中門を入ると、本殿が見えてくる。これもまた立派な建物である。絢爛豪華とは、こういう建物を指すのであろう。訪れた時間が午後四時くらいであったからか、参詣客は誰もいなくて閑散としていた。お陰で、ゆっくり参詣することができた。

○振り返ると、中門の裏側に戯台が設えてあるのを見付けた。まだ建築されたばかりの真新しい戯台である。それは寧波の天一閣や慶安会館で見たものと全く同じものであった。寧波の天一閣や慶安会館の戯台は、展示されているような趣があったが、ここの戯台は実際に利用されている形態となっている。

○戯台の天井は音響効果を狙ってのことか、凝った造作がなされている。またそれは見目にも美しい。ここの戯台は屋外の広いところにあるので、戯台がどういうものであるかを見るには格好のものであった。

○寧波の天一閣や慶安会館の戯台と同じように、戯台には、一つの形式があるようである。ここは舞台であって、それを外から見るように造作されているのであろう。ただ、ここでどんな舞踊、音楽が催されるかを私は見たことがないし、知らない。気になる。

○高顕廟に隣接して「慶餘庵」と言う建物があった。お寺なのだろうと思われたが、よく分からない。その慶餘庵前からは眺望がすばらしく、高亭の町が一望された。

○高顕廟から参道を下る途中、各所に墓らしきものを見付けた。もともと蓬莱公園自体が高亭の墓域なのだろうと思われる。したがって、高顕廟はその墓域を祀る施設なのではないかと思われた。

○高顕廟が祀るのが観音菩薩であることも気になっている。舟山群島は観音信仰の盛んなところで、特に普陀山・洛迦山はその聖地として知られる。斋教は、そういう観音信仰の一宗派なのではないかと思われる。

○気になることがたくさんあるのだけれども、なかなかそれらを解決するまでには至っていない。まだまだ学習すべきことがたくさんある。