天一閣~范欽~ | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○天一閣の創設者、范欽について、ウィキペディアフリー百科事典は次のように載せる。

      范欽
   范欽(はん きん、1505年(正徳元年) - 1585年(万暦13年))、字は尭卿、号は東明、中国・明
  末期の官僚、学者。浙江鄞県(浙江省寧波市)出身。
   嘉靖11年(1532年)の進士。兵部右侍郎にまで進んだ。
   范欽は蔵書を好んでおこない、天一閣を建設した。現存する中国最古の書庫である。

○それに対して、中国の検索エンジン『百度』が案内する范欽の案内は詳しい。

      范钦
  【百科名片】
   范钦,明代著名藏书家,浙江鄞县(今浙江宁波鄞州区)人,公元1532年(嘉靖十一年)举进士,官
  至兵部右侍郎。与张时彻、屠大山称为“东海三司马”。他是中国现存最古老的藏书楼——天一阁的主人。
  【人物简介】
   范钦(1506-1585)字尧卿,一作安钦,号东明,浙江鄞县(今宁波)人。嘉靖十一年(1532)进士,
  任湖广随州知州,迁工部员外郎。因与武定侯郭勋不和,调任江西知袁州府,升广西参政,分守桂平。
  转福建按察使,迁陕西左使、河南副都御史,官至兵部右侍郎,辞不赴。嘉靖三十九年(1560)回乡归
  隐。酷爱典籍,为官多年,每至一地,广搜图书。抄有丰坊的藏书,丰坊“万卷楼”幸存余书悉归于他。
  嘉靖四十至四十五年,建藏书楼名“天一阁”,取“天一生水,地六成之”之义,阁四面临水,上通六
  间为一,中以书橱间隔;其下分六间。为古代藏书楼建筑典范。清乾隆年间,下诏建造七阁,均仿照其
  规格设计。
  【生平事迹】
  (建天一阁)
   范钦最著名的事迹就是主持建筑天一阁。在宁波市月湖之西,有一座闻名中外的古建筑,那就是明代
  嘉靖年间兵部右侍郎范钦所建的天一阁。天一阁迄今已有四百多年的历史,是我国现存最古老的藏书楼。
  (收藏群书)
   范钦性喜藏书,游宦期间,每到一地,都特别留心搜访当地的文献。与其他偏重於版本的藏书家不同
  的是,范钦重视当代人的著作,故其藏书以明刻本为主,尤其是明代地方志、明代政书、明代实录、明
  代诗文集特别多,颇有些"厚今薄古"之意。如《军令》、《营规》、《大阅览》、《国子监监规》、
  《武定侯郭勋招供》等官书,属当时的"内部资料",一般藏书家即便有意收藏,也决非轻易可以觅得。
  范钦平生还喜欢收集古代典籍,后又得到鄞县李氏万卷楼的残存藏书,存书达到了七万多卷,其中以地
  方志和登科录最为珍稀。乾隆三十七年(公元1772年),下诏开始修撰《四库全书》,范钦的八世孙范
  懋柱进献所藏之书638种,于是乾隆皇帝敕命测绘天一阁的房屋、书橱的款式,兴造了著名的“南北七
  阁”,用来收藏所撰修的七套《四库全书》,天一阁也从此名闻全国。

○以下、「藏书失散与保护」、「相关事件」、「诗作一览」、「藏书状况」、「主要作品」等を詳述するが、長くなるので略するしかない。

○3月11日、午後から、李さんに案内されて、天一閣を見学した。寧波を訪問して最初の見学先に天一閣を選んでくれたのも李さんである。本好きな私への配慮が嬉しかった。

○天一閣には西大門と西南門の二つの出入口があり、私たちは西大門から入場した。入るとすぐに「東明草堂」がある。中国の検索エンジン『百度』では、

      东明草堂
   天一阁是明代范钦所建藏书楼,是我国现存最古最完整的藏书楼。然而,人们只知道天一阁闻名于
  世,却不知道它的前身——东明草堂。

と案内する。天一閣の創設者、范欽の号が『東明』である。ここが最初のころの天一閣と言うことになる。その奥に范氏故居があった。

○さらに、尊经阁、明州碑林、千晋斋、藏书库などを見学。本来、ここは范欽の私邸になる。何とも大きなお屋敷である。その奥に広い庭が二つ存在し、その向こうに天一閣が存在する。

○前回案内した「天一閣」の説明文にもあったが、范家の家訓として、
  ・夜間の立入り禁止
  ・喫煙禁止
  ・飲酒後の入閣禁止
  ・婦女の入閣禁止
  ・書籍の帯出は禁止
などがあったことを、李さんから詳しく説明していただいた。

○こういう蔵書好きが居て、はじめて文化は継承される。中国の文化の深奥はこういうところに見出される。それでも何度も天一閣は存亡の危機に瀕している。それほど、文物が無事に時代を経ることは至難の業なのである。

○寧波の第一の観光地が天一閣であることの意義は大きい。それほど、この地は文物に恵まれ、文物を大切にする土地柄であることが理解される。