日州街道を歩く~福山から牧之原まで~ | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

 

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○鹿児島県霧島市福山中茶屋公園近くに存在する「島津忠将公七寶塔」を訪れて、突然旧日州街道が気になり出した。

○中茶屋公園入り口に「日州街道」の標識があり、向かい側に「旧日州街道」の案内板が存在し、それには次のようにあった。

      旧日州街道(高岡筋)案内板
   この道は、昔から鹿児島を起点とし、加治木・福山・都城を経て
  宮崎の高岡に通ずる、薩摩藩の軍事・経済上の幹線道路であった。
  牧之原に至る急峻な坂道は、天窮坂とも呼ばれた。日向と薩摩を
  往来する旅人や、駄馬も頻繁となり途中、休憩する所として、
  上の茶屋には良質の冷たい水が湧出し、特にトコロ天が有名で、
  茶屋(客に飲食をさせる店)が繁栄した。明治二十五年、現在の
  県道が開通した。
     平成十四年三月二十五日     福山町教育委員会

○都城近辺に在住しているから、都城を通過している街道が「旧日州街道」で、現在は国道10号線となっている道筋が、おおよそ「旧日州街道」であることは聞いて知っていた。

○特に、高城から高岡に至る部分は国道10号線と「旧日州街道」とは、まるで別ルートで、郷土史家たちに拠って、「旧日州街道」散策が行われていることを何かで読んだこともある。だから、「旧日州街道」そのものが自分には親しいものである。

○「旧日州街道」を全部歩くことなど出来ないが、福山から牧之原のルートは福山町教育委員会等のご尽力で、しっかり整備されているようである。それなら自分にも歩けるような気がした。

○前に、『福山まるごと博物館・霧島市福山町・ぶらーり酢っきり・散策マップ』(エコミュージアム福山:作成・発行)と言うパンフレットをいただいたことがあって、それには宮浦神社から西牧之原の信号までが『旧日向筋』として案内されている。

○しかし、中茶屋公園内に存在する福山町教育委員会の地図板では、西牧之原の信号とは随分と南に離れたところに至るようになっている。どちらが本当なのかよく判らない。

○だから、福山の宮浦神社から登れば、はっきりすると思われたが、登りはしんどいので、出来れば下りたい。それで先日、2月12日に「旧日州街道」探索に出掛けてきた。

○12時ころ家を出て、国道10号線を南下。牧之原に13時ころ到着。「旧日州街道」の下り口を探す。国道504号線沿いに『ふくふくふれあい館』と言う物産館があって、そこで買い物と情報を手に入れるために立ち寄った。少し先に福山に下る道があるので、それではないかと伺って、そこを目指す。

○車では発見出来ずに、通り過ぎてしまったようで、引き返して再度探索を続ける。『宝来ラーメン』の近くに道を発見。ちゃんと『日州街道』の標柱が建っていた。向かいに「宝瀬」バス停もあった。

○道路脇の広い場所に車を停めて、歩き始める。時間はちょうど13時20分であった。右側は陸上自衛隊演習地敷地となっている。

○5分ほど歩くと、道が二股に分かれて、左の道が『日州街道』で、ここには『日州街道』の標柱と『旧日州街道(高岡筋)案内板』とが並んで建っていた。

○さらに10分ほど歩くと周囲の木が伐採された、明るいところに着く。福山町の、
  林業構造改善事業で国際競争に耐えうる林業!
の大看板があった。遠くに錦江湾に桜島が浮かんでいるのも見える。

○13時43分に、上茶屋跡に到着。道は左右に分かれ、右に登れば西牧之原の信号に続き、左に下れば中茶屋に出るはずである。

○国土地理院二万五千分一地図では、上之茶屋には数軒の家があるように見えるが、実際存在するのは廃屋だけである。ここはちょうど谷間になっていて、水も確保出来るし、陰にもなっていて、涼しい場所であるように感じられた。立派な石垣もそのまま残っている。

○13時54分に『島津忠将公七寶塔』前に到着。ここからもきれいに桜島が遠望された。このすぐ下が中茶屋公園になる。

○13時57分に中茶屋公園に到着。『日州街道』はここで県道478号と二度交差している。上の方が中茶屋公園で、その脇を『日州街道』は下る。少し行くと再度県道478号にぶつかり、その先から下に降る道が『日州街道』である。

○降るとすぐに集落となり、そこは福山の集落の上部に位置する。ここから福山の集落内を歩くことになる。もちろん、道は急な坂道である。このあたりになると、目の前に錦江湾が開けていて、すこぶる眺望が良い。途中、道が狭くなって傾斜も急になった先が、また県道478号で、すぐ目の前が宮浦神社裏になっている。

○宮浦神社裏の高台に立派な石塔が見えるので、気になって行ってみたら、忠霊塔であった。目立つ石塔である。すぐ下が宮浦神社である。

○宮浦神社に到着したのが14時20分で、ちょうど60分で下ってきたことになる。この道はずっと急な坂道で、平坦なところはほとんどない。これが登りであったら、多分、自分の足では2時間では着かない。標高差は、およそ400辰任△襦

○道はほとんどコンクリート舗装の道で、四駆の軽トラックなら通行可能だと思われる。登山道前の林道の雰囲気の道であった。

○要所要所には、必ず『日州街道』の標柱が設置されているから、まず迷うことはない。ただ、誰も通らないから不用心ではある。なるだけ一人歩きは避けた方が賢明。

○宮浦神社あたりで、帰りのタクシーを探したがいなかったので、宮浦神社下の民家でタクシーの電話番号を伺ったら、親切に電話していただいき、タクシーを呼んで下さった。感謝。

○タクシーで話を聞いたら、下ってきた「宝瀬」バス停の名は『ほぜ』と呼ぶのだそうである。『たからせ』と呼んで笑われてしまった。

○のんびり、『日州街道を歩く~福山から牧之原まで~』つもりでいたが、せっかちであるから、急ぎ足になってしまったのが何とも悲しい。本当は苦労して、福山から牧之原まで歩くべきであった。

○機会があれば、高城~高岡間の日州街道も歩いてみたいと思っている。なかなか町中は歩く気にはなれないけれども。