西穂山荘 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

 

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○先日、急遽、思い立って、西穂高岳に登ってきた。

○最初の予定では、西穂高岳から奥穂高岳へ縦走し、その後、行ければ槍ケ岳まで、駄目なら南岳新道を下りようと思っていた。

○ところが思いがけない大雨で、これでは岩膚を登るには滑って危険極まりない。だから西穂高岳まで行って帰るしかなかった。

○9月15日、午後2時前、高山に到着し、コンビニに立ち寄り、食料品を調達。その際、西穂山荘に宿泊予約の電話を入れた。電話先で、ロープウエイの西穂高口に着いたら、再度、電話を下さいとおっしゃる。

○何か変なことをおっしゃるなあと思うくらいで、その時は気にも掛けなかったが、高山から平湯温泉に行く途中から、土砂降りの激しい雨になった。雨は強くなるばかりで、止む気配など全く無い。

○おそらく、西穂山荘の方は、麓の新穂高温泉に到着したら、諦めて登って来ないのではないかと思われたに違いない。あまりの雨の激しさに登ることを躊躇したが、折角、ここまでやって来て、登らないのも残念である。雨なら、最悪、西穂山荘で散策でもして帰ろうと思い、登ることにした。

○新穂高温泉にある無料駐車場には、平日にも関わらず、多くの車が駐車している。三段ある駐車スペースの一番上が、少しでも歩かなくて済むので、空いている場所を探し、無事駐車。

○時間は午後3時過ぎ。新穂高ロープウエイの最終便が16時とあったので、急いで登山準備に取りかかる。35分ころ、ようやく駐車場を出る。急いでロープウエイ乗り場に行ったら、観光客の団体さんがいらっしゃって、乗り込もうとしているところであった。

○切符を買い、最後に乗車。リックを背負い、カッパを着て走って来たので、蒸し風呂の中に居るような暑さである。まるで滝のように汗が出る。観光客には気の毒であるが、仕方がない。一人だけ異邦人のような存在であった。

○いつもなら16時が最終便らしいのだが、今日は団体さんのお陰で、16時45分が最終便だと放送があった。団体さんが珍しがって、「こんな雨の中を登るのか」、「何処から来たか」、「何処に登るのか」など、様々な質問が飛び、閉口した。

○新穂高ロープウエイの下が、標高1100辰曚鼻ロープウエイの上は2155辰任△襪ら、1050辰眦个蕕覆て済む。私のようなグータラ登山者には格好の登山手段である。

○16時30分ころ、ロープウエイの上、西穂高口に到着。山荘に電話を入れるが、なかなか出ない。やっと連絡がついたのは45分ころであった。

○西穂高口には播隆上人像があった。この辺りの登山の開祖とされている人物である。その前に登山口があって、『単独登山は止めよう』と大書してある。ここまで来て、いくら何でもそれはないだろう。

○昭文社・山と高原地図『槍ケ岳・穂高岳』では、標準時間が90分とあるが、急いでいたので、何とか75分くらいで、無事、西穂山荘に到着出来た。ロープウエイの上は2155辰任△辰燭、西穂山荘あたりの標高は2360辰曚匹如標高差は200辰らいしかないが、結構距離はある。

○山荘の夕食時間は5時半からとなっていた。しかし、もう6時近くである。それでも、一人だけで食事することが出来た。山荘の方に感謝。

○雨はずっと降り続いている。仕方がないから、縦走を諦めて、山荘の方に、朝食は山荘で食べるようにお願いした。最初の予定では、5時に山荘を出るつもりだったので、朝食・昼食の両方をお弁当でお願いしていた。

○お客さんは15名ほどだろうか。その内、同室の方が4名。外人さん一人、3人連れのグループが一緒であった。最初、早出を希望していたので、一番出入り口に近い布団が割り当ててあった。

○前日、あまり寝ていないので、8時半ころ、早めに就寝。明日の好天を祈るばかりである。