神代三山陵の研究⑤ | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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◯ここまで、神代二代目の彦火火出見尊の御陵である高屋山陵について述べてきたが、二番目として、神代三代目の彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵である吾平山陵について、考えてみることにしたい。

◯彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊は、実に影の薄い尊である。「神代三山陵の研究」でも触れたが、「古事記」の記述は字数にして、わずか92文字に過ぎない。そこで述べられている内容にしたところで、妻が叔母の玉依姫であることと、その子に五瀬命以下の四御子の名を記すくらいで、他は何もその事跡は記されていない。

◯このことは、「日本書紀」においても同様である。「古事記」以上の記録と言えば、その御陵が吾平山上陵とすることくらいである。とにかく情報量の少ない尊であるから、その御陵についても、他の御陵と違って、異説も少ない。

◯安本美典の「邪馬台国はその後どうなったか」では、七つの説を紹介しているが、吾平山陵の比定地として、有力なのは、せいぜい、次の二カ所だけであろう。
  1、大隅国肝属郡姶良郷上名村
  2、日向国南那珂郡鵜戸村速日峰

◯大隅国肝属郡姶良郷上名村の吾平山陵は、現在宮内庁の御陵墓参考地として、宮内庁の管轄になっている。明治七年の御裁可もこの地を吾平山陵としている。古くから吾平山陵の伝承が残っており、吾平山陵としては最有力である。

◯寛政七年(1785年)刊行の「麑藩名勝考」、天保十四年(1843年)刊行の「三国名勝図会」、明治4年(1871年)刊行の「薩隅日地理纂考」ともに、この上名村の御陵を吾平山陵としている。ただ、上記の三書は元来、薩摩藩についての著作であるから、日向国については、諸県郡以外は記載していない。従って、日向国南那珂郡鵜戸村速日峰については、格段の記述はなされていない。

◯日向国南那珂郡鵜戸村速日峰は、桓武天皇の御代、鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺と言う勅号を賜った天台宗の寺であった。創建は崇神天皇の御代と伝える由緒正しい寺である。後、真言宗の寺となり、両部神道の道場として栄えた。また、「念流」・「陰流」の剣法発祥の地として、江戸時代までは知られた。日向国でも、海辺の絶界の地にあり、真言宗の寺として、「鵜戸さん参り」が盛んであった。明治の神仏分離令によって、鵜戸神宮となったのは、明治七年のことである。

◯大隅国肝属郡姶良郷上名村の吾平山陵は民間の伝承として残り、日向国南那珂郡鵜戸村速日峰は勅号の寺として広く知られてきた。歴史的には、どちらも遜色ない。ただ、「麑藩名勝考」、「三国名勝図会」、「薩隅日地理纂考」ともに、吾平山陵のところで、日向国南那珂郡鵜戸村のことを彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の誕生地として記録しているのが、気になる。少なくとも、大隅国肝属郡姶良郷上名村に、その伝承があったことは、確かである。

◯日向国南那珂郡鵜戸村速日峰の地は、辺境に地ではあるが、今なお、漁業の盛んな土地柄である。また、周囲は格好の好漁場でもある。彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊が海に関連の深い尊であることを考慮すれば、ここは有力な場所と言える。

◯ただ、日向国南那珂郡鵜戸村速日峰の地は、政治的・経済的なことを考えた場合、多くの人々が参集する広い土地が近くにない点が気になる。御陵であるからして、そこがそのまま宮地と言うことにはならないのであろうが、御陵が宮地と全く異なるところに存在するとは考えにくい。日向国南那珂郡鵜戸村速日峰の地を吾平山陵の御陵とするには、その宮地がどこになるかが、問題となるであろう。

◯もう一つ、先代である神代二代の彦火火出見尊の御陵の御陵が高屋山陵になるが、それと神代三代の彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊との位置関係も気になるところである。この二つが全く無関係に存在するとは、まず考えられないからである。

◯そういうふうに考えると、大隅国肝属郡姶良郷上名村の地に、吾平山陵が存在することには、相応の根拠があるように思える。神代一代・二代と、狭隘な内之浦で過ごしてきたのに対して、三代彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊になって、ようやく広大な肝属平野に進出出来たと思われる。

◯そう考えると、神代二代の彦火火出見尊の御代までは、眺めるだけであった肝属平野に、天皇家の一族が初めて進出した記録が、実は「古事記」「日本書紀」における神代三代の史実なのではなかろうか。

◯随分と小さい史実を、あれほど盛大に「古事記」「日本書紀」に記録するはずはない、と思われる向きがあるかも知れない。しかし、それは誤りである。天孫降臨の後、わずかな時間に、それほど飛躍出来るはずなど、あり得ないことである。何事も最初は小さい。しかし、わずかな、その一歩一歩が大事なのである。だから「古事記」「日本書紀」はそのことを、あのように記録したのではないか。