神代三山陵の先坣僑位 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯2023年1月31日に、葛城の鴨都波神社に詣でて来た。その後ブログ『鴨都波神社』から『高鴨神社』、『積羽八重事代主命』、『阿遅志貴高日子根命』、『下鴨神社』、『上賀茂神社』、『鴨神の故郷』、『上鴨神の故郷』、『かもつきのあひら』、『神代三山陵』、『吾平山陵』、『出雲神の故郷』と、ブログを書き続けている。

◯こうなると、もう次はテーマ『神代三山陵の先坣僑位』しか無い。このことについて、最初に述べたのが2011年5月31日の次のブログになる。

  ・テーマ「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『吉野山の正体』

      〜2011年5月31日〜

◯その後、多くのブログを書いて、このことについては、何度も検証を加えている。主なものだけを紹介しておく。

  ・テーマ「狗奴国・救仁国の風景」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』〜2012年1月30日〜

 

  ・テーマ「天孫降臨の世界山」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』〜2013年2月28日〜

 

  ・テーマ「世界上最美麗華貴之城:杭州」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』

      〜2013年7月23日〜

  ・テーマ「日本仏教伝来の普陀山」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』〜2014年1月29日〜

 

  ・テーマ「おしえて邪馬台国」の不思議:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』

      〜2014年9月4日〜

  ・テーマ「邪馬台国三山」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』〜2015年1月23日〜

 

  ・テーマ「肝属町の三岳参り」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』〜2016年6月10日〜

 

  ・テーマ「肝属町の三岳参り」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位について』

      〜2016年6月10日〜

  ・テーマ「大和三山」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』〜2017年12月6日〜

 

  ・テーマ「肝属町の三岳参り」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』〜2019年3月30日〜

 

◯まだまだ多くのブログが存在するのだが、これくらいで止めにしておく。判る通り、様々なテーマで、『神代三山陵の先坣僑位』を検証し、確認していることがお判りいただけるのではないか。それ程、『神代三山陵の先坣僑位』は大事な問題である。

◯結論だけを案内すると、当古代文化研究所が突き止めた本物の神代三山陵は、次のように案内される。

  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

◯実際、これを確認するだけでも、相当な時間を要する。当古代文化研究所では、長い時間を掛けて、そのことを検証して来たわけである。ただ、神代三山陵は、それこそ、神代のものであって、それを現代で証明することなど、考えられない。

◯突き止めたのは良いが、それを実際に証明することなど、考えられない。何しろ、神代の話なのだから。そう思っていた。

◯ところが、実に意外なところから、その証明方法が出現して、驚いた。それがテーマ「吉野山の正体」である。テーマ「吉野山の正体」は、2008年ころに、当古代文化研究所で追い求めていたテーマだった。

◯吉野山は、奈良県吉野郡吉野町に存在する山である。もっとも、正確には、そこは、吉野山の入り口に過ぎない。吉野山は広くて大きい。したがって、正確には、黒滝町、天川村までを含む部分が吉野山と言うことになる。

◯事の発端は、「日本書紀」の持統紀にある。持統天皇は治世9年間の間に、30回以上もの吉野行幸を繰り返している。これは何とも、異常な数字である。何が彼女をして、そうさせたのか。誰もこのことについて、語らない。当古代文化研究所では、そのことが気になった。

◯これも結論だけを紹介すれば、持統天皇の吉野詣では、祖霊信仰に基づくものである。そうなると、吉野山が非常に気になる。吉野山とは何か。そういう研究がテーマ「吉野山の正体」だった。これも結論だけを案内すると、吉野山は天皇家の祖霊を祀っているところだと言うことである。何回か、吉野山を訪れ、そのことを確認している。

◯つまり、吉野山は可愛山陵だと言うことである。しかし、本物の可愛山陵は日向国に存在する、したがって、吉野山は可愛山陵の先坣僑位だと言うことになる。

◯今どき、先坣僑位を知る人も少ないのではないか。故郷から出て、異郷の地に住み着いた者が故郷を懐かしがって、先祖の墓を異郷に移した物が先坣僑位である。したがって、吉野山は可愛山陵の先坣僑位だから、あれほど、持統天皇は吉野詣でを繰り返している。

◯そういうことを突き止めるだけでも、数年を要した。その後、出て来たのが『神代三山陵の先坣僑位』になる。古代人のエネルギーは何とも凄まじい。『神代三山陵の先坣僑位』まで、大和国に造成しているのだから。

◯結論として、『神代三山陵の先坣僑位』は、次のように案内される。

  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=吉野山
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=高野山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=熊野本宮

◯実に恐ろしい話である。しかし、それが本当の話なのだから、更に恐ろしい。古代人の祖霊信仰と言うものが、どういうものかをまじまじと知ることができる。当古代文化研究所では、そういう研究をしている。