鴨神の故郷 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯2023年1月31日に、葛城の鴨都波神社に詣でて来た。それで、ブログ『鴨都波神社』、『高鴨神社』、『積羽八重事代主命』、『阿遅志貴高日子根命』、『下鴨神社』、『上賀茂神社』と続けて来た。このままでは、鴨神について、とことん話すことになる。そうすれば、何とも膨大な話となってしまう。

◯ここで、そういう話をしていては、ブログが全然、先に進まなくなってしまう。しかし、ここまで話を続けて来た以上、鴨神信仰の話を中断するわけにも行かない。それで、あと幾つかのブログを書いて、取り敢えず、この話を終えたい。

◯今回触れるのは、『鴨神の故郷』になる。日本の鴨神信仰が何処から発生したのかと言う話になる。その契機となるのが葛城の『鴨都波神社』と『高鴨神社』であり、京都の『下鴨神社』と『上賀茂神社』だと言うことになる。

◯と言うのも、葛城の『鴨都波神社』と『高鴨神社』、京都の『下鴨神社』と『上賀茂神社』は、鴨神の信仰形態をそっくりそのまま残している。そのことで、鴨神信仰の起源が何処から発生したかを知ることができる。

◯まさか、葛城の『鴨都波神社』と『高鴨神社』は、自分たちの神社が他所から勧請されたものであるとは、思ってもいないに違いない。しかし、京都の『下鴨神社』と『上賀茂神社』にしたところで、他所から勧請された神社であることは、間違いない。

◯つまり、葛城の『鴨都波神社』と『高鴨神社』も、京都の『下鴨神社』と『上賀茂神社』も、両方とも、他所から勧請された神社なのである。それが鴨神信仰と言うわけである。

◯それは、旧日向国に求めることができる。第一、大和朝廷自体が旧日向国から移って来たことは、「古事記」や「日本書紀」が明記しているので、誰でも知っている。ただ、それがどのように移動して来たかを説明することは、なかなか難しい。

◯もっとも、この話は日向神話の一つとして語られる。日向神話と言う言葉自体は、多くの方がご存知なのだが、その実、日向神話の内実を明瞭簡単に案内できる人は少ない。つまり、多くの人は、日向神話が何であるかを、よく理解していない。

◯簡単明瞭に案内すれば、日向神話は、次の三つに集約される。

  天孫降臨神話

  山幸海幸神話

  神武東征神話

◯日本の歴史学は、何とも寂しい。こういう日向神話について、何一つ、説明できないからである。例えば、天孫降臨の世界山が何処であるか。満足に答ることもできない。それが現在の日本歴史学の現状である。

◯当古代文化研究所は、そういう研究をしている。もちろん、天孫降臨の世界山が何処であるか、明瞭に答えることができる。それは霧島山高千穂峰になる。当然、それを証明することも、当古代文化研究所ではできる。そういう研究が日本では、全然、なされていない。

◯神武東征なら、誰でも知っている。しかし、神武天皇が旧日向国の何処から船出なさったか。正確に答えることは、結構、難しい。旧日向国には、神武天皇お船出の地が三箇所、存在する。当古代文化研究所では、その場所も、当然、突き止めている。

◯それは、鹿児島県肝属郡東串良町柏原になる。当古代文化研究所では、そのことについて、以前、次のブログで、詳細な検証を加えている。

  ・テーマ「邪馬台国その後」:ブログ『神武東征ーお船出の地ー序章』

 

  ・テーマ「邪馬台国その後」:ブログ『神武東征ーお船出の地ー美々津』

 

  ・テーマ「邪馬台国その後」:ブログ『神武東征ーお船出の地ー宮浦神社』

 

  ・テーマ「邪馬台国その後」:ブログ『神武東征ーお船出の地ー東串良町柏原』

 

  ・テーマ「邪馬台国その後」:ブログ『神武東征お船出の地はどこか』

 

◯これらのブログを書いたのは、2008年5月だから、もう16年も昔のことである。神武天皇の父は彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と申し上げる。その御陵は吾平山陵と申し上げる。神武天皇のお船出の地がその父である彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊のところから出発していることは、誰が考えても判ることである。

◯実際、鹿児島県肝属郡東串良町柏原には、戸柱神社が鎮座ましまし、その脇に、「神武天皇御発航伝説地」の立派な石碑も建っている。ここは、一級河川、肝属川の河口になる。その肝属川の上流に、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵、吾平山陵が存在する。

◯よくよく鴨神を研究すると、ここに到達する。鴨神とは、何の関係も無いではないかと、おっしゃるかも知れない。しかし、それは歴史をご存知無い方である。鴨神と天皇家とは、切っても切れない関係がある。

◯つまり、鴨神を追求して行くと、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵、吾平山陵に達するのである。実は、ここが下鴨神社になる。当然、別に、上賀茂神社も存在する。次回、その話をしたい。つまり、ここが鴨神の故郷と言うことになる。ここから鴨神は日本中に広がって行った。