◯鴨神を考える上で、京都の下鴨神社及び上賀茂神社を見逃すこともできない。もともとは、葛城の『鴨都波神社』及び『高鴨神社』だと思われるが、そういう事も含めて考えてみたい。前回、下鴨神社について考えてみたので、今回は上賀茂神社について、考えてみる。
◯すでに、当古代文化研究所では、何度が下鴨神社にはお参りを済ませている。最近では、2022年2月3日に、「京都ぶらり旅」で訪れ、ブログを幾つか、書いている。
・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『上賀茂神社』
・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『賀茂別雷神社』
◯実際、上賀茂神社のホームページでは、上賀茂神社について、次のように載せる。
上賀茂神社
賀茂別雷神社は、通称「上賀茂神社」「上社」の名で親しまれる神社です。
御祭神は賀茂別雷大神。
国宝2棟、重要文化財41棟を含む広大な敷地は全てユネスコ世界
文化遺産の登録されています。
上賀茂神社について
御由緒
神代の昔、本殿の背後北北西に位置する秀峰・神山に御降臨になり、
第四十代 天武天皇六年(677)には、山背国より賀茂神宮が造営
され、現在まで殆ど変容することのない御社殿が築かれました。
第五十代 桓武天皇による平安京遷都以降は、皇城鎮護の神・山城
国一之宮として歴代の天皇が行幸・奉幣祈願され、明治時代以降大東
亜戦争終戦まで伊勢の神宮に次いで全国神社のなかでも官幣大社の筆
頭となりました。
古より皇族はもとより、貴族、武家の社参相続き、現在も多くの人
々に崇敬されています。
平成六年には二十三万坪の境内全域が「古都・京都の文化財」の
一つとして世界文化遺産に登録されました。
御神紋
上賀茂神社は、社殿のそこかしこに葵(二葉葵)の文様が刻まれた
金具で飾られています。また北東の社には二葉葵が群生し、訪れる人
々を迎えます。
葵は古く「あふひ」と読み、「ひ」とは「神霊」を意味し、葵とは
「神と逢うこと」であり、また「逢う日」でもあるのです。御祭神降
臨の際に「「葵」を飾り祭りをせよとの御神託があったことから、御
神紋となり社殿を飾り、神と人とを結ぶ草として古来大切に守られて
きた植物でもあります。
◯葛城の高鴨神社の祭神が『阿遅志貴高日子根命』であったのに対し、上賀茂神社の祭神は賀茂別雷大神となっている。このことは、葛城の鴨都波神社の御祭神が『積羽八重事代主命』であるのに対し、『賀茂御祖神社』の御祭神は賀茂建角身命となっていることとも、深く関係する。
◯つまり、葛城の鴨都波神社や高鴨神社の祭神が『積羽八重事代主命』や『阿遅志貴高日子根命』と、出雲神を奉仕しているのに対し、京都の下鴨神社・上賀茂神社が奉仕しているのは、賀茂建角身命であり、賀茂別雷大神と変容している。
◯京都の下鴨神社や上賀茂神社の御祭神は、まるでこの地に出現したかのようである。しかし、鴨神である以上、それは勧請された神であることは間違いない。そういうことを忌み嫌って、神名が誕生したとするしかない。
◯そういう意味では、まだまだ、葛城の鴨都波神社や高鴨神社の方が正直だと言うことになる。ただ、『積羽八重事代主命』や『阿遅志貴高日子根命』は、出雲神だと言う。それなら、出雲国に出現した神だと言うことになる。
◯それなら、出雲国に『積羽八重事代主命』や『阿遅志貴高日子根命』を奉仕するところが存在するはずである。寡聞にして、そういうところを聞いたことがない。つまり、『積羽八重事代主命』や『阿遅志貴高日子根命』の故郷は出雲国では無い可能性が高い。
◯意外に、このように、神々の故郷は、随分と変遷する。葛城の鴨神も京都の鴨神も、もとは同じだろう。だから、同じ鴨神なのである。それを賀茂建角身命とし、賀茂別雷大神とすることには、抵抗がある。
◯こういうふうに、鴨神の起源を辿ると、実に意外なところに到達する。当古代文化研究所では、そういうことを研究している。詳しい話は、次回に述べるしかない。