大徳寺:正受院・聚光院・高桐院 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯2023年1月29日に、大徳寺を訪れた。京都は、ちょうど「第57回 京の冬の旅」を実施していて、それで今日は、大徳寺の『ガイドと歩く冬の旅ウオーキングツアー』に参加する予定で、大徳寺を訪れた。集合時間は午後1時である。

◯大徳寺に着いた時間は11時だった。せっかくの京都、大徳寺である。その前に見れるところは、見ておきたいと思ってやって来た。それで、大徳寺の塔頭を見て歩いた。

◯前回、ブログ『大徳寺:興臨院・瑞峯院・大慈院』を案内した。今回は『大徳寺:正受院・聚光院・高桐院』になる。インターネット検索すると、正受院のホームページがヒットした。

      正受院

  【大本山大徳寺塔頭 正受院について:沿革】

   天文年間(1532~1555)に伊勢亀山城主の関盛衡や越前敦賀城主の蜂屋

  頼隆が檀越となり、大徳寺93世清庵宗胃を開祖として建立された。

   敷地内には昭和3年(1928)造立の山口玄洞好み茶室「瑞応軒(ずいおう

  けん)」がある。

   境内には、本能寺の変の直前に明智光秀と連歌の会を催したことで知られ

  る連歌師の里村紹巴や、仏門に入り京都で没した、前田利家の三男、知好の

  墓がある。

 

◯続けて、聚光院について。インターネット検索では、次のページがヒットした。

      聚光院

   臨済宗大徳寺派に属する。

   永禄9年(1566)三好義嗣が父長慶の菩提をとむらうため、大徳寺

  百七世笑嶺宗きん(しょうれいそうきん)を請じて建立した寺で、聚光院

  の名は長慶の法名に由来する。笑嶺和尚に参禅した千利休が檀家となって

  多くの資財をよせ、以来当寺は茶道三千家の菩提所となっている。

   境内には利休の墓を中心に三千家歴代の墓所があり、毎月28日茶の供

  養が行われる。方丈は狩野永徳筆花鳥図十六面をはじめ、狩野松栄、雲谷

  等益ら桃山時代の代表的障壁画四十二面で飾られ、いずれも国宝・重要文

  化財に指定されている。方丈南の枯山水庭園は、利休の作庭と伝えられ、

  桃山時代の遺風をよくとどめている。方丈につづく茶席閑隠席(かんいん

  せき)(重要文化財)は、利休好みの三畳台目の茶席で、利休ゆかりの伝説

  も多く有名である。ほかに茶席枡床席(ますとこぜき)(重要文化財)もあ

  り、また三好長慶ゆかりのものとしては、笑嶺の賛がある画像(重要文化

  財)、墓石などがある。北区紫野大徳寺町

 

◯最後に、高桐院について。次のページがヒットした。

      高桐院

   大徳寺塔頭。1601年(慶長6)利休七哲の一人細川忠興(三斎)の創建。

  利休邸移築の書院につづく茶室松向軒は秀吉の北野大茶会に用いられたも

  のを移したと伝える。江戸初期につくられた庭に三斎とガラシャ夫人の墓

  がある。寺宝の李唐筆「絹本墨画山水図」2幅は南宋初期山水画の名作で

  国宝。
   建立:1601(慶長6)年
   寺宝は毎年10月第2日曜日、1日限りで公開 

  【庭園】

   高桐院の方丈の庭は楓の庭。四季折々に変化に富んだ風情を楽しめるが、

  とりわけ紅葉が美しい。松向軒は細川忠興(三斎)ゆかりの茶室。
   平成10年度、書院「意北軒」と「松向軒」は創建当時の趣が再現され昔

  の伝統と手法を残しており、拝観が出来る。

 

◯大徳寺は、『大徳寺の茶面(ちゃづら)』として知られる。こういう表現がなかなか面白い。

  建仁寺の学問面(がくもんづら)

  大徳寺の茶面(ちゃづら)

  東福寺の伽藍面(がらんづら)

  南禅寺の武家面(ぶけづら)

  妙心寺の算盤面(そろばんづら)

  相国寺の声明面(しょうみょうづら)

言い得て妙。なかなか京都雀の皮肉は辛辣である。