長楽館 | 古代文化研究所:第2室

古代文化研究所:第2室

ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯円山公園から東へ進むと、右手に瀟洒な洋館が見えて来た。門の前に、次の案内板が設置してあった。

      長楽館

      KYOTO

      CHOURAKUKAN

      SINCE 1909

    旧村井別邸

   長楽館は、「たばこ王」と称された明治時代の実業家村井吉兵衛が迎賓館として

  建てた建物である。「長楽館」の名称は伊藤博文が宿泊した折に命名し、扁額にも

  記した。皇族や元勲、英国皇太子などの国賓が多数滞在し、「京都の迎賓館」とも

  呼べる建物であった。

   工事は、アメリカ人技師J.M.ガーデイナーの設計により、明治42年(1909)

  6月に竣工した。

   建物は、1・2階ともにそれぞれ特徴のある部屋がならぶ。中でも1階客間は

  暖炉まわりや壁、天井に植物文様のレリーフを飾るなど、ロココ様式を基調とし、

  最も華麗で見ごたえのある部屋となっている。一方3階は書院造風の和室で、その

  豪華なつくりと斬新な座敷飾りはみごとである。建築当時の家具が残っている点も

  注目される。ロココ様式をはじめそれぞれ部屋に合った様式の家具が置かれ、英国

  王室御用達でもあったMAPLE社製など、大半が高級な輸入品で、意匠にも優れる。

   長楽館は、内部の凝った意匠に見るべきところがあり、規模も大きく、明治後期

  における和洋折衷の住宅建築の代表例として価値が高いことから、家具30点を含

  め昭和61年6月2日、京都市指定有形文化財に指定された。

           京都市

◯インターネット検索すると、次のホームページがヒットした。

      長楽館について

   長楽館は明治42年(1909)“煙草王”と呼ばれた
   実業家村井吉兵衛により 国内外の賓客をもてなすための迎賓館として建築されました。
   それから⼀〇〇有余年。
   伊藤博⽂、⼤隈重信や⼭縣有朋など、明治という時代を彩った⼈々をはじめ、
   これまでにどれだけ多くのお客様をお迎えしたことでしょう。
   昭和六⼀年には建物のみならず、多くの家具調度品を含めて、
   京都市有形⽂化財の指定をお受けしました。
   お客様が⻑楽館でお茶をされるとき、あるいはレストランでお⾷事をされるとき、
   そのテーブルは⽂化財に指定されているものかも知れません。
   その椅⼦は、かつて⻄園寺公望が煙草をくすぶらせていたものかも知れません。
   「賓客をもてなすための迎賓館」として
   これまでも、これからも、“長い楽しみ”を皆さまにご提供いたします。

 

◯長楽館の名自体は、ここの上にある、名刹、黄台山長楽寺からの命名であると思われる。京都市観光協会の案内には、次のようにある。

      黄台山長楽寺

805年(延暦24)最澄(伝教大師)が創建、天台宗に属したが室町初期に国阿上人が時宗に改宗。建礼門院が平家滅亡後、この寺で落飾した。安徳天皇の御衣で作った仏幡などの寺宝を展示。頼山陽・頼三樹三郎親子の墓がある。円山公園の奥。時宗の祖師一遍上人像他6体の重要文化財の肖像彫刻がある。相阿弥作庭園。徳川慶喜ゆかりの「尊攘苑」(水戸烈士墓所)。市内一望絶景地。