西国三十三所第十一番 深雪山 上醍醐 准胝堂(醍醐寺) | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯2022年12月20日、京都の醍醐寺、上醍醐へお参りして来た。もう一年五ヶ月も前の話である。なかなかブログが先に進まなくて、随分前のことを書いている。ただ、いい加減に済ませるわけにもいかない。それで長々と綴っている。

◯この日、女人堂を10時過ぎに出発し、不動の滝で、ちょうど10時30分だった。女人堂前の案内板に拠れば、

  女人堂⇒三宝院:0、7Km 12分

  女人堂⇒山頂・開山堂:2、6Km 60分

  女人堂⇒准胝観音堂:2、2Km 51分

  女人堂⇒不動の滝:1、1Km 21分

とあった。

◯現在、准胝観音堂は無く、その跡だけが残されている。その准胝観音堂跡で、11時10分だった。したがって、女人堂から准胝観音堂までで、70分を要したことになる。標準時間よりも時間を要してはいるが、まずまず順調だった。

◯上醍醐の始まりは、女人堂からだとされるが、実際は、寺務所や清瀧宮拝殿・醍醐水・清瀧宮本殿が存在するあたりからが境内なのではないか。この辺りに、建物が密集している。その中心となるのが准胝観音堂だったと言うことになる。

◯ウィキペディアフリー百科事典が案内する醍醐寺には、次のように載せる。

      醍醐寺

醍醐寺(だいごじ)は、京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山となる寺院山号は醍醐山(深雪山とも)。本尊薬師如来。上醍醐の准胝堂(じゅんていどう)は、西国三十三所第11番札所で本尊は准胝観世音菩薩。京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持ち、国宝重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵している。豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた地としても知られている。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。

平安時代初期の貞観16年(874年)、空海(弘法大師)の孫弟子にあたる聖宝(理源大師)が准胝観音ならびに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山し、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と命名した。貞観18年(876年)には聖宝によって准胝堂と如意輪堂が建立されている。

 

◯つまり、准胝観音堂が建立されたのは、貞観18年(876年)だと言うことが判る。理源大師聖宝が信奉し奉ったのが准胝観音であり如意輪観音であることに、十分留意する必要がある。少なくとも、醍醐寺が開山された時、祀った仏様は観音様だったことは、間違いない。

◯現在の醍醐寺の本尊は薬師如来だとされ、醍醐寺金堂に祀られている。また、上醍醐にも、薬師堂が存在し、薬師三尊が祀られている。しかし、それは、あくまで、後世の話であることを見逃してはなるまい。

◯寺も時代を経ると、様々に、その様相を変えることに、十分留意する必要がある。醍醐寺の開山、理源大師聖宝が信奉したのが観音信仰であったことの意義は大きい。そして、もともと、醍醐寺は観音信仰の寺であったことも忘れてはなるまい。