耳成駅 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』は、橿原神宮前駅を出発し、橿原神宮へ参詣した後、まず最初に畝傍山へ登った後、畝傍山口神社の方へ下る。それから神武天皇陵を経て、畝傍御陵前駅を通って、香具山へと向かう。

◯橿原神宮前駅から畝傍山山頂までが2335m、香具山山頂で、8191mとあるから、畝傍山から香具山までは、5856mだと言うことになる。もちろん、直線距離ではなくて、歩いた距離数になる。

◯その後、藤原宮大極殿跡を経て、耳成山へと向かう。耳成山山頂で、12642mとあるから、香具山から耳成山までは4451mだと言うことになる。『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』では、最終地が大和八木駅で、14324mとなっている。

◯したがって、おおよそ、14キロメートルを歩くことになる。ただ、今回は、耳成駅へ行ってみたくて、初めて、耳成駅を目指した。というのも、距離的には、耳成駅の方が近いと判断したからである。

◯よくよく『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』を見たら、耳成駅までの距離数が14020mとあるではないか。つまり、大和八木駅までとは、300mしか変わらない。わざわざ耳成駅を目指す理由は無い。便利なのは、あくまで、大和八木駅なのだから。

◯今回、大和三山を周回して、おおよそ、6時間を要した。もちろん、休憩や昼食時間を含めてである。73歳(当時)の老人には、結構、たいへんな距離であった。さいわい、天気に恵まれた。12月19日で、寒い季節だったが、割に暖かい一日だった。

◯これで、大和三山へは8回、登ったことになる。

  第1回  1992年3月28日
  第2回  2003年8月11日
  第3回  2005年5月10日
  第4回  2009年3月29日
  第5回  2010年4月3日

  第6回  2011年5月3日

  第7回  2021年2月3日

  第8回  2022年12月19日

◯最初に大和三山へ登った時、たしか、42歳だったと記憶する。したがって、もう30年も昔の話である。その時、すでに、奈良県橿原市に存在する大和三山がレプリカであることを確信していた。ただ、それを確かめる必要があった。それで、3月28日に登ったわけである。

◯当時、すでに、本物の大和三山、

  うねびやま=霧島山(1700m)
  かぐやま=桜島山(1111m)
  みみなしやま=開聞岳( 924m)

を発見していた。そのことを検証するための旅行が大和三山登山だったわけである。

◯実は、学生時代に、大和三山は遠望している。その時は三輪山や山の辺の道の方に興味があったので、大神神社へ参詣し、山の辺の道を歩いた。そのまま、大和三山は通過して、飛鳥へ行った記憶がある。大和三山は知ってはいたが、何の関心も無かった。

◯その後、「万葉集」を読んでいて、大和三山に関する和歌に問題があることを理解した。それで、あれこれ考え出したわけである。最初に気付いたののは、香具山が桜島山であると言うことだった。次が畝傍山だった。ここまでは、実に順調だった。

◯問題は耳成山である。これほど、摩訶不思議な山は無い。「みみなしやま」の意味が判らない。それで、鹿児島中を歩き回り、有名な山には、ほとんど、登った。結局、辿り着いたのが開聞岳だった。

◯開聞岳の麓に、枚聞神社が鎮座まします。枚聞と書いて「ひらきき」と訓む。この枚聞神社が無かったら、おそらく、耳成山は発見できなかった。「ひらきき」は、間違いなく枕詞である。そして、開聞岳の名は、「ひらきき」の当て字になる。つまり、正式には「ひらききのみみなしやま」と言う名の山である。

◯それは「とぶとりのあすか」と同じである。飛鳥と書いて「あすか」と訓じることは、誰にもできない。それが枕詞「とぶとり」である。逆に、「ひらききのみみなしやま」の「ひらきき」が残って、「枚聞(神社)」の名が誕生し、それの当て字が「開聞岳」の名を生んだ。

◯「みみなしやま」の名も、ここでは、きれいに説明できる。つまり、「みみ」とは境界とか果ての意なのである。陸地の果てが開聞岳であり、海の道標が開聞岳であることは、誰でも理解している。海と陸との境界に位置する山が開聞岳である。

◯同じように、香具山は火の山の意になる。また、香具山だけに「天の」が付くのは、香具山が海の中に存在するからである。決定的なのは、やはり、香具山に掛かる枕詞の存在である。

◯香具山に掛かる枕詞を「天降り付く」と言う。この光景は、毎年、12月から1月に掛けて、鹿児島県霧島市福山で見ることができる。枕詞「天降り付く」を説明できるのは、ここが本物の香具山だからである。もちろん、本物の香具山は桜島山になる。

◯最後に、畝傍山になる。もちろん、畝傍山にも枕詞が存在する。それは「玉襷」と言う。したがって、正式には「たまだすき うねびのやま」と称する。それはうねびやまが、何処の山よりも、「うねっている」からに他ならない。奈良県橿原市の畝傍山はうねってなど、いない。

◯もっと凄いのは、畝傍山が天孫降臨の世界山であると言うことである。それが霧島山になる。神武天皇は霧島山の麓で生まれ、畝傍山の麓に眠っている。畝傍山と神武天皇は切っても切れない関係にある。したがって、大和三山の筆頭は、古来、畝傍山なのである。

◯大和三山を学習すると、こういうことが判る。そういうことは「万葉集」を読むことで理解される。当古代文化研究所が、何度も大和三山に登るのは、そういう理由からである。決して遊びではない。