藤原宮跡 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯畝傍山から香具山に至る道は、『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』に拠れば、3280mほどである。それなのに、これまで、ブログ『畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)』、『奈良県立橿原考古学研究所附属博物館』、『餃子の王将で昼食』、『本薬師寺跡』、『飛鳥川・新河原橋』、『藤原京朱雀大路跡』、『藤原の古りにし里の秋萩は』、『池田源太「大和三山」』と続けて来ていて、なかなか先に進まない。

◯それだけ、ここには、文化があると言うことなのだろう。どうしても、避けて通れないもののみを書いているつもりである。今回の『藤原宮跡』も、この地を通る者が避けて通れないものである。ここには嘗て藤原京と言う都が存在した。

◯インターネットで検索すると、次のページがヒットした。

      藤原宮跡とは

藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は、今から約1300年前、持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都、藤原京(694~710)の中心にあった宮殿・藤原宮のあったところです。

藤原宮にはかつて、一辺約1キロメートルの中に大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を合わせた性格を持っていました。藤原京が都であった期間は694年~710年の16年間ですが、その大きさは後の平城京や平安京を上回る規模ともいわれており、藤原京の構造はその後の都にも引き継がれていきます。

藤原宮跡は昭和27年に国の特別史跡に指定されており、また藤原宮跡が構成資産のひとつである「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」は、人類史上でも価値の高い文化遺産として、世界遺産への登録を目指しています。

また、藤原宮跡は大和三山の絶好の眺望スポットとなっています。藤原宮跡から見る朝陽・夕陽は息をのむほどの秀景です。平成23年6月には、藤原宮跡からの大和三山の稜線の眺めが、「重要眺望景観」に指定されました。特に藤原宮跡から香具山方向を望む展望には、コンクリート系の建物がまったく映り込まないため、「光男の栗」「朱花の月(はねづのつき)」といった映画の撮影舞台にもなりました。

 

◯別に、次のページも存在する。

      藤原京

藤原京は飛鳥京の西北部、現在の橿原市の位置にあった日本初の都城です。
南北中央に朱雀大路を配し、南北の大路と東西の大路を碁盤の目のように組み合わせて左右対称とする「条坊制」を、日本で初めて採用した唐風都城です。
持統・文武・元明天皇の3代にわたり16年間続きました。 昭和27年には平城宮跡とともに歴史・学術的に価値のある遺跡として「特別史跡」に、昭和43年9月には「歴史的風土特別保存地区」に指定されています。

 

◯藤原宮跡から望む大和三山は、確かに、美しい。当古代文化研究所では、今回が八回目の大和三山廻りだが、何度廻っても、それは美しい。また、この地区は特別保護区として、保護されているから、保存されているのかも知れない。長く残して欲しい風景である。