愛宕道 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

◯京都、嵯峨野を歩いて来て、気になったのが、愛宕道である。それが清凉寺境内を突き抜けていると言うのである。つまり、清凉寺仁王門から境内を抜けて、西門を経て、厭離庵から二尊院、化野念仏寺前を通って、清滝から愛宕神社まで続く参詣道が愛宕道だと言う。

◯もちろん、愛宕道は愛宕神社へ詣でる参詣道になる。その愛宕神社は、ウィキペディアフリー百科事典に、次のように載せる。

      愛宕神社

愛宕神社(あたごじんじゃ)は、京都市右京区嵯峨愛宕町にある神社。旧称は阿多古神社旧社格府社で、現在は神社本庁別表神社

全国に約900社ある愛宕神社の総本社である。現在は「愛宕さん」とも呼ばれる。

山城国丹波国の国境にある愛宕山(標高924m)山頂に鎮座する。古くより比叡山と共に信仰を集め、神仏習合時代は愛宕権現を祀る白雲寺として知られた。

火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は京都の多くの家庭の台所や飲食店の厨房や会社の茶室などに貼られている。また、「愛宕の三つ参り」として、3歳までに参拝すると一生火事に遭わないといわれる。上方落語には「愛宕山」「いらちの愛宕詣り」という噺が存在する。

 

◯愛宕道については、次のページが詳しい。

      愛宕道

愛宕山の頂上には神仏習合の時代から愛 宕権現、勝軍地蔵が祀られ、修験道の道場 でした。現在も愛宕神社が鎮座して火難よけ の神が祀られ、全国に約九百ある愛宕社の 総本山として多くの人々の信仰を集めていま す。歴史的な逸話や伝説の多い愛宕神社へ の参道は、愛宕道として知られています。平 安時代中期の僧奝然(ちょうねん)は、愛宕 山を中国の五台山と見立てて比叡山に向き 合う文殊信仰の聖地にしようとしました。五台 山清凉寺が今回のコースの起点になってい ます。葬送の地・化野(あだしの)を通る参道 には奥嵯峨の見所が数多く点在します。この 地図では清凉寺と愛宕山の紹介を中心に愛 宕道の歴史と見所を紹介します。

 

◯このページには、次の説明もあった。

      愛宕道周辺の発掘調査

愛宕道は京都の西に位置する嵯峨清凉寺門前 から北西にそびえる愛宕山山頂に鎮座する愛 宕神社への参詣道として、古くから知られて います。道沿いや周辺一帯は天龍寺や清凉寺 など中世に寺院群が発展した地域です。室町 時代中期に作られた『山城国嵯峨諸寺応永鈞 命絵図(やましろこくさがしょじおうえいき んめいえず)』には天龍寺、清凉寺を中心に 100を超える寺院が描かれています。2007年 には、絵図に示された寺院群の範囲を中心に 「嵯峨遺跡」という名称で、新たに寺院跡と しての遺跡が加えられました。それ以降、発 掘調査や試掘調査が行われ、寺院跡などの遺 構が発見されています。また、平安時代から の葬送の地である化野(あだしの)では、化 野念仏寺の北側で中世の墓や蔵骨器などが立 会調査で発見されています。清凉寺境内では 試掘調査が実施され、中世の井戸跡や土器な どが見つかっています。また、愛宕山には山 の北から東方にかけての山中に寺跡群が点在 し、平安時代の土器も散在することが確認さ れ、「愛宕山遺跡」として遺跡地図に登録さ れています。

 

◯京都では、愛宕道及び愛宕神社も、頗る気になる。機会を見付けて一回は出掛けてみたい。記憶が残るように、ここに記録しておきたい。