近江地名 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○前回、ブログ『近江大津宮』を書いて、大津地名は粟津地名が起源であるとの私説を案内した。どう考えても、粟津地名から大津地名は発生したとしか、考えられない。ただ、このことについては、十分な検証が必要である。それをこれから行う必要がある。

○もう一つ、近江地名も見逃すことができない。現在、近江地名がどのように判断されているか。それは、次の説明が参考になる。

      近江国

近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。東山道に属する。

  【「近江」の名称と由来】

近江は、『古事記』では「近淡海(ちかつあはうみ)」「淡海(あはうみ)」と記されている。7世紀、飛鳥京から藤原宮期の遺跡から見つかった木簡の中には、「淡海」と読めそうな字のほか、「近淡」や「近水海」という語が見えるものがある。「近淡」はこの後にも字が続いて近淡海となると推測される。国名は、琵琶湖を「近淡海」と称したことに由来するとする説が広く知られているが、琵琶湖を「近淡海」と記した例はなく、『万葉集』をみても、琵琶湖は、「淡海」「淡海之海」「淡海乃海」「近江之海」「近江海」「相海之海」と記されている。「淡海」の所在する国で、畿内から近い国という意味であり、「近つ『淡海国』」であり、「『近つ淡海』国」ではない。おおよそ大宝令の制定(701年)・施行を境にして、近江国の表記が登場し、定着する。和銅6年(713)4月丁巳(25日)の、諸国郡郷名には好字二字をつけよ、との法令による。

 

○また、併せて、次の資料を見よとの案内があった。

      琵琶湖

琵琶湖(びわこ)は、滋賀県にある日本最大面積と貯水量を持つ一級水系淀川水系」に属する一級河川である。国土交通大臣から委託を受けて滋賀県知事が管理を担う。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼で、ラムサール条約登録湿地でもある。

古くは淡海・淡海の海・水海・近江の海・細波・におの海などとも呼ばれ、「びわ湖」「びわこ」と表記されることもあるほか、「Mother Lake」の愛称や「近畿の水瓶」の別称で呼ばれることもある。

  【古代の呼称】

琵琶湖は元々、近淡海・淡海・淡海の海(あふみのうみ)・水海(すいかい)・近江の海・細波(さざなみ)・鳰の海(にほのうみ)などと呼ばれていた。

古事記』においては、その伊邪那岐の大神は、淡海多賀に坐すなり(上巻)や東の方追ひ廻りて近淡海国に到り(中巻)といった用字で現在の滋賀県のことを表している。同書における琵琶湖を指す記述としては中巻の

  いざ吾君あぎ 振熊が痛手追はずは 鳰鳥の 阿布美能宇美あふみのうみ かずきせなわ

という歌謡のみが挙げられる。一方『日本書紀』には

  淡海の海 瀬田の済に かずく鳥 目にし見えねば憤りしも

という歌謡をはじめとし、淡海の海淡海の表記が多数見られ、近淡海の用字はほとんど見られない。同書における近江の表記は、天智天皇5年に是の冬に宮都の鼠、近江に向きて移るとあるなど、奈良時代近江遷都以降に顕著に現れる。その後の『続日本紀』の717年(養老元年)の条には行至近江国 観望淡海とあり、近江を国名、淡海を琵琶湖と使い分けていたことが示唆される。

 

○つまり、『近江』の文字を「あふみ」と訓むことは、なかなか厳しいことが判る。上記の説明でも、「あふみ」は『淡海』を訓んだものであるとしている。しかし、そんなに難しいものであるのだろうか。

○普通に考えれば、『粟津』が「あはづ」である以上、『淡海』は「あはうみ」であって、「あほうみ」となることはあっても、なかなか「あふみ」とはならない。「あふみ」とならない限り、「オウミ」とはならない。

○そうなると、『近江』は「あをうみ」だったのではないか。『近江』は、単なる当て字に過ぎない。いわゆる、意味読みだとすれば、納得される。それは『粟津』が「あをつ」であることと一致する。「あをつ」であれば、用意に『大津』にも変換される。

○意外と、それが真実であると、当古代文化研究所では思っている。まだまだ検証を加える必要があるが、それが本当なのではないか。これから考えて行きたい。

○そういうとんでもないものが近江国や大津京には潜んでいる。しかし、もっと凄い話があるのだが、それは、次回に繋げるしかない。