寒山詩を読み終えて | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○2012年3月13日に、寧波在住の日本語通訳兼ガイドの李さんに連れられて、天台山國清寺へ参詣した。今からもう十年以上も昔の話である。当時、李さんは二十六歳の若者だった。それから、毎年三、四回、中国訪問を続けて来た。

○それがコロナ過で、2019年10月28日から11月8日までの西安・洛陽旅行で止まったままになって、もう二年半くらいが過ぎた。何とも寂しい限りである。李さんとも三年ほど、逢っていない。早く寧波へ行き、李さんに再会したい。

○2012年3月に天台山國清寺へ参詣した際、「國清寺志」(丁天魁編:華東師範大学出版社:1995年刊)と「寒山詩註」(項楚著:中華書局2000年刊)とを買って帰った。年を取って、歩けなくなったら、寒山詩でも訳そうと思っていた。

○このブログ、古代文化研究所第二室を読んでいただくと、判るのだが、最初のテーマ「坂の町・重慶」から、最近の「中原:洛陽」まで、この「寒山詩」を除いて、全てが中国旅行記となっている。何とも、特化したブログである。

○その中国旅行が出来なくなったのだから、どうしようもない。今後、古代文化研究所第二室では、何を書いて行こうか、あれこれ、思い悩んだ。結果、取り敢えず、寒山詩を訳そうと思った次第である。

○寒山詩に興味を抱いたのは二十代のころだったと思う。何処か探せば、訳本も持っているはずである。ただ、今回、訳す上で、他人の訳本は一切、参考にしないことにした。学問としては、こういうやり方はよくない。学問は、基本的に、これまでの学問の蓄積の上に、さらに屋上屋を重ねるものだからである。そうすることによって、我流を避けることができる。

○ただ、訳は、また別では無いか。他者の訳本を参考にすれば、ややもすると、他者に引き摺られてしまうことだってある。そういうものを退けるためにも、一切、読まないこととした。だから、このブログの訳は、我流そのものと言える。他者のための訳では無い。私に拠る、私のための訳に過ぎない。

○だから、訳には全て【我が儘勝手な私訳】とことわっている。寒山詩は、極めて特殊な詩集だと思う。日本では、これだけ有名なのに、中国では、ほとんど評価されていない。それがどうしてか。誰も言及しない。

○それは、誰も真面目に寒山詩を読もうとしないからに他ならない。寒山詩を真面目に読んでみると判るのだが、中国詩としては、読むに耐え得るものでは無い気がする。ただ、宗教詩や思想詩として読むならば、何とか、読むに耐え得る。それが寒山詩ではないか。

○だから、寒山詩を評価しているのは、宗教人ばかりである。宗教がその地位を失いつつある現代に於いては、寒山詩が評価されることは稀である。そんな中、寒山詩を訳すのには、大いに意義がある。

○それは寒山詩を通じて宗教を考えることができるからである。寒山自身が宗教について、思い悩み、案出したのが寒山詩だからである。