拾得詩:水浸泥彈丸(拾52) | 古代文化研究所:第2室

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○項楚著「寒山詩註」は、寒山詩に続けて、拾得詩57首と佚詩6首を載せている。どうせなら、全部を訳し終えたい。それで、拾得詩の訳となる。今回が第52回で、『水浸泥彈丸(拾52)』詩になる。

  【原文】

      水浸泥彈丸(拾52)

    水浸泥彈丸   思量無道理   浮漚夢幻身   百年能幾幾

    不解細思惟   將言長不死   誅剥壘千金   留將與妻子

  【書き下し文】

    水に泥彈丸を浸せば、

    思量に道理無し。

    浮漚夢幻の身は、

    百年も能く幾幾ならん。

    細思惟を解せざれば、

    將に長不死を言はんとす。

    千金を壘ねて誅剥し、

    留めて將に妻子に與へんとす。

  【我が儘勝手な私訳】

    水に泥の弾丸を浸けることは、

    何も考えないのと同じことである。

    生滅無常、夢幻のこの身の上は、

    この世に幾許も存在することはないのだ。

    対象を心に浮かべてよく考えることができなかったなら、

    人生は永遠に続くと勘違いすることになる。

    結果、この世にあって財産を獲得することに夢中になって、

    なおかつ、それを妻や子供に残そうと悪戦苦闘している。

○こういう理屈っぽさは、どちらかと言うと、寒山詩のものである。今回の『水浸泥彈丸(拾52)』詩もまた、拾得詩と言うよりは、寒山詩だと言えよう。ここのところ、そういう作品ばかりが続いている。そんな気がしてならない。

○写真はここのところ、四川省の峨眉山の写真を掲載している。峨眉山は中国四大仏教名山の一つである。当古代文化研究所では、これまで3回峨眉山へ参詣している。