○項楚著「寒山詩註」は、寒山詩に続けて、拾得詩57首と佚詩6首を載せている。どうせなら、全部を訳し終えたい。それで、拾得詩の訳となる。今回が第48回で、『迢迢山徑峻(拾48)』詩になる。
【原文】
迢迢山徑峻(拾48)
迢迢山徑峻 萬仞險隘危 石橋莓苔緑 時見白雲飛
瀑布懸如練 月影落潭暉 更登華頂上 猶待孤鶴期
【書き下し文】
迢迢たる山の徑は峻しく、
萬仞は險しく隘く危ふし。
石橋の一語苔は緑で、
時に白雲の飛ぶを見る。
瀑布は練の如く懸かり、
月影は潭に落ちて暉く。
更に華頂の上に登れば、
猶ほ孤鶴に期するを待つがごとし。
【我が儘勝手な私訳】
天台山は遥かに高く道は険しい、
深い谷間は急峻で狭く危険である。
天台山の石橋は緑の苔が生していて、
空には白雲が飛んで行くのを眺める。
天台山では練り絹のように滝が懸かり流れ落ち、
丸い月は川の淵に落ちて光り輝いている。
天台山の最高峰、華頂峰に登れば、
あたかも仙人が鶴に乗って仙界へ行くのを待っているかのようである。
○今回の『迢迢山徑峻(拾48)』詩を読んで、痛切に感じたこと。それは『迢迢山徑峻(拾48)』詩は、幾ら何でも拾得詩では無いと言うことである。『迢迢山徑峻(拾48)』詩は、どう考えても寒山詩そのものである。
○それはどうしてかと言うと、『迢迢山徑峻(拾48)』詩が標榜するのが老荘思想だからである。これまで、47個もの拾得詩を見て来ているが、そういう作品は一つも無い。老荘思想なのが寒山詩の特長であることを考えると、そういうことになる。
○拾得詩の中には、これまでにも、寒山詩と思しきものが幾つか存在した。そういうものと併せて、『迢迢山徑峻(拾48)』詩は、やはり、寒山詩に入れるのが相応しい気がする。