○項楚著「寒山詩註」は、寒山詩に続けて、拾得詩57首と佚詩6首を載せている。どうせなら、全部を訳し終えたい。それで、拾得詩の訳となる。今回が第47回で、『嗟見多知漢(拾47)』詩になる。
【原文】
嗟見多知漢(拾47)
嗟見多知漢 終日枉用心 岐路逞嘍囉 欺謾一切人
唯作地獄滓 不修來世因 忽爾無常到 定知亂紛紛
【書き下し文】
我れ多知漢を見るに、
終日、用心を枉ぐ。
岐路に逞しく嘍囉し、
一切の人に欺謾す。
唯だ地獄の滓を作すのみにして、
來世因を修めず。
忽爾として無常の至れば、
定めて亂紛紛たるを知らん。
【我が儘勝手な私訳】
私が物知りだと言う人を見ていると、
一日中、あれこれと、無駄に精神を費やしてばかりいる。
岐路に立てば、あれこれ言って大騒ぎし、
全ての人を欺き騙そうとする。
そういう人はただ地獄に落ちるしかなく、
善報の業因を手に入れることはできない。
たちまちのうちに死が訪れると、
そういう人は必ず、常軌を逸して大いに乱れるのである。
○前回の『平生何所憂(拾46)』詩は、寒山詩の『一自遯寒山(171)』詩とほぼ同じであった。今回の『嗟見多知漢(拾47)』詩もまた、『我見多知漢(238)』詩とほぼ同じ内容となっている。
○拾得詩とされる『平生何所憂(拾46)』詩と、寒山詩の『一自遯寒山(171)』詩とは、どちらが本物か。内容からすると、完全に寒山詩とするしかない。同じように、拾得詩の『嗟見多知漢(拾47)』詩と、寒山詩の『我見多知漢(238)』詩も、どう考えても寒山詩だとするしかない。
○写真はここのところ、四川省の峨眉山の写真を掲載している。峨眉山は中国四大仏教名山の一つである。当古代文化研究所では、これまで3回峨眉山へ参詣している。