皮日休:汴河懷古二首 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○湖北省襄陽市を訪れた。襄陽で最も有名な文人は、何と言っても、孟浩然である。その孟浩然に憧れたのが皮日休である。折角なので、皮日休についても触れておきたい。

○そう思って、いろいろ調べてみると、皮日休の代表作と言えば、汴河懷古二首だと言うことが判った、それでYahoo検索とGoogle検索で「皮日休:汴河懷古二首」を検索したところ、自分のブログがトップと二番目に出て、驚いた。

  ・テーマ「痩西湖・个園」:ブログ『皮日休:汴河懷古二首』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519968203.html

  ・テーマ「古都:開封」:ブログ『皮日休:汴河懷古二首(再々掲)』

  https://ameblo.jp/sisiza1949-2/entry-12519947361.html

○もっとも、テーマ「痩西湖・个園」は古代文化研究所のものだし、テーマ「古都:開封」は古代文化研究所:第2室のものである。テーマ「痩西湖・个園」のものは揚州で訳したのに対し、テーマ「古都:開封」のものは開封で訳した。全然訳が違うから面白い。もっとも、当の本人はそんなことはすっかり忘れているのだから、いい加減なものである。

○ここでは、新しい開封のものを掲載しておく。

  【原文】
      汴河懷古二首:其一
          皮日休
    万艘龍舸綠絲間
    載到揚州盡不還
    應是天教開汴水
    一千餘里地無山

  【書き下し文】
      汴河懐古二首:其一
          皮日休
    万艘竜舸、緑絲の間、
    載せて揚州に到るも、尽く還らず。
    應に是れ天の汴水を開けしむべし、
    一千余里の地に山無し。

  【我が儘勝手な私訳】
    多くの豪華な艤装船が、緑の柳の枝が垂れ下がった中、
    万物を載せて揚州へと大運河を下って行ったが、一艘も帰って来ない。
    当然、隋の煬帝こそが大運河を開鑿したとすべきである、
    この開封の地から揚州まで一千余里、山一つ無い。
 

  【原文】
      汴河懐古二首:其二
          皮日休
    盡道隋亡為此河
    至今千里賴通波
    若無水殿龍舟事
    共禹論功不較多

  【書き下し文】
      汴河懐古二首:其二
          皮日休
    道の尽き隋の亡ぶは、此の河の為なり、
    今に至るまで千里、通波に頼る。
    殿に水無きが若し、竜舟の事、
    禹と共に功を論ずるも、較ぜざること多し。

  【我が儘勝手な私訳】
    運命なのか隋王朝が滅んだのは、大運河のせいだと人は言うけれども、
    昔から今に至るまで、大運河が頼りになる水路であることは間違いない。
    とても運河に浮かんだ船だとは思えない大きく豪華な龍船だったが、
    隋の煬帝の功績は古代の聖王禹の功績とは、とても比較にならない。