神代三山陵の先坣僑位 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○吐噶喇列島が吐火羅国で、硫黄島が舎衛であることは、畢竟、硫黄島がどんなに恐ろしい島であるかを、説明しなくてはならない。ある意味、硫黄島は日本創世の島だと言えよう。

○そういうことを教えてくれるのが、吉野山である。そのためには、吉野山がどういう山であるかを確認することから始めなくてはならない。それが『吉野山の正体』である。詳しくは、以下のブログに書いている。

  ・テーマ「吉野山の正体」:40個のブログ

  https://ameblo.jp/sisiza1949/theme-10110399661.html

○結果、吉野山の正体は可愛山陵だと言うことが判った。それなら、神代三山陵の全てが吉野山に近在するのではないか。そういうふうに考えるのが自然だろう。

○いまどき、神代三山陵を知る人も少ないのではないか。もっとも、その神代三山陵の比定地そのものが間違っているのだから、もっと面倒な話になる。このことについても、当古代文化研究所では、詳細な検証を加えている。

  ・テーマ「神代三山陵の研究」:16個のブログ

  https://ameblo.jp/sisiza1949/theme-10110399718.html

○結果、真実の神代三山陵は、次のようになる。

  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○幾ら、真実の神代三山陵を発見したところで、それは神代の話である。それを二十一世紀の現代で証明することなどできない。常識的には、そう思う。

○ところが、神代三山陵の先坣僑位が存在すれば、話は別である。神代三山陵の先坣僑位は、次のように案内される。

  ・吉野山=可愛山陵
  ・高野山=高屋山陵
  ・熊野本宮=吾平山陵

○「古事記」や「日本書紀」の神代三山陵を検証するだけでも、大変である。しかし、真面目に検証し続けると、神代三山陵の先坣僑位までもが出現して、驚いた。日本の神話も、なかなか大したものである。神代三山陵の先坣僑位まで準備するなど、信じられない。

○この神代三山陵の先坣僑位の話は、現代では、もっと面白いことになっている。それが世界遺産の話になる。詳しい話は次回に。