雉岡城    城址公園でもしっかり遺構は楽しめますね^^   ~埼玉県本庄市~ | 攻城日記/3rd ~城逢人~

攻城日記/3rd ~城逢人~

中世城館・板碑好きのマニアの日々の記録

城址公園として整備され大規模な堀、土塁が残る
「雉岡城」ですが城の中心部は高校、中学校が建ち
遺構が失われています


城址公園とはかつての大手口の郭にあたります
その一部分に残された遺構ですが大規模な堀、土塁など見ごたえあります
3度目の訪問は気が向いたのでゆっくり遺構を見学してみました
大手口の郭から主郭跡まで堀底を歩き虎口をチェックしたり
なかなか充実したものでした


水堀と緑が美しい城跡というイメージがあります
桜の開花時期も見ごたえあります
公園として整備されているので春~夏に訪れて
遺構を楽しみたい城跡です

 

山内上杉氏が鎌倉上道に近い八幡山に築いた城で
当初は拠点としての利用も考えられていたようですが
地形が狭い為に上州・平井に移り家臣の有田豊後守実基を
城主に据え子の実盛と親子二代にわたり城を守ります。
有田氏は播磨赤松氏の一族で雉岡城主として入城した際に

夏目と改姓しますがその由来は不明です

↓僅かに残る主郭と土塁

※八幡山は長尾景春の祖父・景仲が幕府から関東管領への
忠功に対して与えられた所領の一つでありました
景春が児玉にて蜂起という記述が古文書で確認でき、
雉岡城を拠点とした可能性も指摘されています


戦国期には鉢形城の出城の一つとして機能し、
横地氏が城主でありました

徳川氏が関東に入封後は松平家清が1万石の格式で
入城しますが慶長6年(1601)に三河吉田に転封となり
雉岡城は廃城となります

↓主郭の虎口

現在見られる城跡の遺構がどの時代のものか?

馬出を多用する縄張りであることからとても興味があります

 

↓雉岡城の航空写真(電子国土空中写真1961~69を使用して作図)


参考  写真で見る児玉の歩み/ 児玉町教育委員会

     現地案内板
     長尾景春/黒田基樹