喜多方駅の北西300mほどの天満前地区に塚原館がありました
塚原館は葦名四天の宿老・富田美作の子・富田将監隆実の居城でした
富田将監といえば伊達との決戦・磨上原において獅子奮迅の働きで伊達勢にその名をとどろかせます
以前に掲載した太郎丸掃部を討ったのも富田将監の軍勢であります
館跡は市街地となりその痕跡はほぼ皆無といったところです
標柱や解説板、縄張りを示す図が設置されています
喜多方市史に掲載される図によると東西に3つの曲輪が並び西から3郭~主郭~2郭が配置されていたようです
↓塚原館の航空写真(電子国土空中写真1974~78を使用して作図)
応安3年(1370)頃に塚原村が富田氏の所領になっていることからその頃に築かれたと思われます
享禄5年(1532)には富田監物義実が分家して塚原に新柵を構えます
新柵は新たに築いた城なのか?もともと存在した館を改修したのか?
富田義実は葦名盛氏の兄・氏方を擁して反乱を起こすも鎮圧され処刑されます
塚原館はこのとき廃されますが戦国末期には富田本家の隆実が居城したと伝わることから塚原の地は
ふたたび富田本家の所領になったのでしょう
参考
喜多方市史/1巻
喜多方歴史散歩/佐藤建郎 歴史春秋社
現地解説板
会津葦名時代人物事典/小島一男 歴史春秋社